植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」 第36回 「生誕100年 船田玉樹 ―異端にして正統、孤高の画人生。―」 2012年8月28日 |
「生誕100年 船田玉樹 ―異端にして正統、孤高の画人生。―」
会期:2012年年7月15日(日)―9月9日(日) 会場:練馬区立美術館 このあと広島県立美術館に巡回(2013年1月21日(月)〜2月20日(水)) この画家は知らなくはなかった。四半世紀ぐらい前、北川フラムから「日本画家で、とてもいい絵を描いている人がいるんですよ」と、絵葉書か小さなちらしをもらって、長いあいだ手元において時に眺めていたことがある。彼の主宰するヒルサイドギャラリーでその個展をやった頃だろう。見に行く機会は逃したが、フラムという人は彼のカバーする前衛美術のなかに苦もなく(ジャンルにこだわらず)日本画も入れてしまえるんだと、自分の絵の見かたまで変わったような記憶がある。 その船田玉樹の作品を大規模な回顧展というかたちではじめて見ることができるのだ。ただ、その前にテレビで簡単に紹介しているのを偶々見たら、自分が長年抱いていた印象とかなり違っている。とりあげられた作品は、四曲一隻の屏風に描かれた一本の樹に咲きほこる花の絵だが、画面全体を埋めつくすほどのその赤い花が果実みたいにぼってりと丸い。もうひとつの作品もやはり四曲一隻屏風で、枝葉の様子が暗がりに溶けこんで判然としないなかで数十のレモンの実がランプのように光ってみえる。どちらも日本画としては前衛的表現を貫いているが、どこかロマンチックというかデザイン感覚で処理しているというか、かつて北川に教えられた画家とほんとうに同じ人なのかと、ちょっと戸惑った。 美術館に行って分かったのは上の2作品、≪花の夕≫(1938)と≪暁のレモン園≫(1949、となっているが1939年作の左隻に加筆)は初期のもので、私が知っていたのは1980年代あたりの、とくに自由闊達な水墨画である。画風がめまぐるしく変わる作品特性を限られた時間内で紹介するとなると、そのごく一端を見せるにとどまる。そういう画家だと知ったのである。 エヴァーチェンジングの画風は、逆にそこから一貫するものが強く感じられてくる。断乎として変わらない強靭な画家として。その一貫性を具体的には説明しにくいが、彼の描く山や水、樹木や建物、花や岩に共通しているのは、そこにひそむ遠近、疎密、表相・内実を空間構造として洗い出すことにあり、そのために対象によってさまざまな描法を尽すことになる。それが画風の転換につながるのかもしれないが、とりあえず言ってみた空間構造とは何かを自分に問い直してみると、たとえば「景色」のそれではない。むしろ景色とは対極の、生命体ともいうべきものか。その山や水、樹木や建物、花や岩は生命の表れであり、だからどこかに向かって生きている、その方向と構造を描きつくそうとしているのではないか。 船田にとって完成作品はなく、いったん完成作として美術展に出されても、戻ってくればまたそれに手を入れ、あるときには切り刻んで次の制作につなげたという。生命であるかぎり止められない。 だがこの言葉は厄介だ。スペードのエースを出したら終わってしまうように、生命と呼んでしまうと文句のつけようがない。言いかえると、さきの≪花の夕≫では普通は枝の先にあるのは花である。それは樹木における花という生命の「景色」である。玉樹はそれをポタッとした色彩だけで表現した。デザイン的に見えたのだが、じつはこの色彩は樹木のなかの生命の方向と構造の、花より直截な表れなのだ。それが出発点だった。ランプのように輝やくレモンもそう。 生誕100年記念展である。いま連載で書いている松本竣介を意識してしまう。もっとも竣介は1912年6月、玉樹は10月だから、明治45年生まれと大正元年生まれに分かれる。今年は1912年7月に明治が終わっての100年でもある。 同い年ながら、いわゆる洋画家・松本竣介と比べると、前衛的ともいわれる船田玉樹でさえ画題は基本的にあくまで日本画であることにあらためて興味がわく。たとえば竣介の≪街≫と玉樹の≪花の夕≫、竣介の≪画家の像≫と玉樹の≪雨四題≫≪夜雨≫≪紅葉≫はそれぞれ同年の制作である。作品(とくに図柄)を通して時代を見るといったことに慣れている美術観からすれば、世界大戦に日本が突入した年に雨や紅葉を描いている画家と時代との距離は測り難いだろう。しかしその広がりのなかにこそ洋画日本画を問わず絵を描くことのリアリティを求めていくしかない(竣介についての拙稿もそこをとらえたいと考えてます)。時代の見えにくい絵は何年も何十年も先で初めて露光するのかもしれない。 晩年にはとくに重層する線で突き固め、あるいは伸びやかに展開もする堅牢精緻な松、梅、枝垂れ桜、竹林などの大画面が顕著になってくるが、その直前に出現する河童の脱力的界隈には日本画内世界の、呼吸も楽な途方もない大きさを感じないではいられない。でもいちばん感銘を受けたのは詩と文章である。画家のではない、まぎれもない詩人の詩であり文章なのだ。病を養うなかで書きはじめたという、その第1作「庭」などは日本の名詩大成なんかに加えても全然ひけをとらない。突然なぜかフランシス・ジャムを思い出した。高校時代に読んだ詩人である。またある時期の作品について図録解説ではマックス・エルンストの名が挙げられていたが、いずれも似通っているというのとは少し違う。この人の描きかた書きかたにはふいに純粋な素形に転ずる作用があり、そのとき思いがけない記憶の場所に橋が架け渡されていくような不思議なスケール感が生じる。その謎に押されて、また最初の展示室に戻ったのだった。 (2012.8.19 うえだ まこと) ■植田実 Makoto UYEDA 1935年東京生まれ。早稲田大学第一文学部フランス文学専攻卒業。『建築』編集スタッフ、その後、月刊『都市住宅』編集長、『GA HOUSES』編集長などを経て、現在フリーの編集者。住まいの図書館編集長、東京藝術大学美術学科建築科講師。著書に『ジャパン・ハウスー打放しコンクリート住宅の現在』(写真・下村純一、グラフィック社1988)、『真夜中の家ー絵本空間論』(住まいの図書館出版局1989)、『住宅という場所で』(共著、TOTO出版2000)、『アパートメントー世界の夢の集合住宅』(写真・平地勲、平凡社コロナ・ブックス2003)、『集合住宅物語』(写真・鬼海弘雄、みすず書房2004)、『植田実の編集現場ー建築を伝えるということ』(共著、ラトルズ2005)、『建築家 五十嵐正ー帯広で五百の建築をつくった』(写真・藤塚光政、西田書店2007)、『都市住宅クロニクル』全2巻(みすず書房2007)ほか。1971年度ADC(東京アートディレクターズクラブ)賞受賞、2003年度日本建築学会文化賞受賞。磯崎新画文集『百二十の見えない都市』(ときの忘れもの1998〜)に企画編集として参加。 「植田実のエッセイ」バックナンバー 植田実のページへ |
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