ときの忘れもの ギャラリー 版画
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植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」
第39回 「Ryuji Miyamoto, Look in Twilight」  2012年11月12日
「Ryuji Miyamoto, Look in Twilight」
会場:TARONASU
会期:2012年9月28日―10月27日(終了)

 TARONASUの空間は手強い。
 地下の展示室に降りてゆく鉄の階段からしてまず私のような年寄りにはかなり危険で、手摺りを唯一の頼みにしながら見下ろすそこは、古いビルのコンクリート壁をひたすら白く塗りまわし、固い床には椅子ひとつ置いていない。展示されている作品の作家の紹介とかメッセージとかもない。と書いていると、階段の鉄とかビルの古さとかはほんとうにそうなのかあやふやになってくるのだが、何も無いことは確かである。ものや文字の不在が堅固に形づくられていて、それだけがハーケンのごとく頭に打ち込まれる。そんな空間に作品がある。
 白く粗い壁面を大きく見せて30点近くの写真が間隔をあけて架けられている。しかもみな寸法が1対3ぐらいの長方形で縦位置だ。まず目に付いたのが東京スカイツリーを撮った写真で、左右の家並みの先に足元から天辺まで縦長の画面にすっぽりと収まっている。
 どんなカメラを使っているのだろうか。ずいぶん前に同じような長方形の写真をかんたんに撮れるカメラが出まわったり、いま若い人たちが持っているキカイなら絵巻物みたいに長い写真もすぐ撮れるので驚いたが、とにかく面白い道具で面白いものを気楽に撮ったのかと、スカイツリーの写真だけを見るとそんなふうにも思える。
 だがそのほかは、どこかの道やとりとめない家々、金網のフェンスとその奥のグラウンドのような広がり、水面、島とも岬とも思える場所、ハングル文字の看板が見える路地、手前に鳥居の一部とその先に祭礼提灯を飾った古い瓦屋根、等々、カメラはとりたてての撮影対象とは思えないもののあいだを気の向くまま、あてもなく歩いているようにみえる。あ、こんなもの見つけたという瞬間さえも感じられない。けれども次第にある感情があふれてくる。場所はどこか分からないが、みな日本国内? いや案外スカイツリー周辺かもしれない。とすると縦長の画面が短冊形にも見え、最新のタワーが昔むかしの建物とも思えてくるが、そんな幻覚に転写されてしまうことはない。あくまでストレートな写真である。
 群生する花々があり、その白い一輪が中央に大きくクロースアップされた写真を帰る前にもう一度見直したとき、これらの写真すべてが青い闇のなかに沈みかけているような、同時にわずかな光がそれを捉えてこちらに見せているような、共通の色調と光とを初めて強く意識した。
 いいかえれば立ち上がってくる深い青と、そこから逃れつつ投げ返してくる切実な光が、帰宅しても頭のなかに残っていた。さらに冥さ明るさが純粋培養されて自身の感覚として生きはじめたといってもいい。でも懐かしさといった気持ちに落ちつくわけではない。「むかし、いつか」でも「旅先、どこか」でもなく、「いま、ここ」の思いがけない潤いがある。
 画廊からの案内をあらためて見直したとき、自分のうかつさに気がついた。
 写真1点をそのままのプロポーションで印刷した縦長のポストカード(296x105mm)である。それを机の前においてずっと眺めていたのだが、その裏側にある宮本隆司の名とTARONASUの会場だけを知って私は出掛けたのだった。今回展のタイトルは見ていなかった。こうあった。
 「薄明のなかで見よ」
 ほかに写真家から画廊からのメッセージは何ひとつないが、これ以上の言葉はいらない。すべてが腑に落ちた。もう一度見たくなって数日後また浅草橋まで電車に乗り、その大迫力のガード下ぞいに歩き神田川を渡った。画廊の入口はビルの壁ぞいを辿るやや奥まったところにある。その壁にRyuji Miyamoto, Look in Twilightの文字が直接印字されていた。前に来たときはこれにも気がつかなかったのである。入った右手にとても雰囲気のあるオフィスと受付があり、正面に例の恐るべき階段が地下ギャラリーに倒れ込んでいる。この内装は青木淳による。何度来てもその洒落っ気と緊張感は変わらない。
 たしかに写真はすべて薄明のなかにある。夜明け前というより日没後のわずかな残光という印象が私には強いのだが、このときに見えるものの絶対的なありようは誰にでもすぐ理解できるだろう。これって世界の見えかたの発見ではないのか。ある時間帯を切りとって撮影したことがテーマではなく、より普遍的な「見える」ことの定理への帰結を、この一連の写真は伝えている。かつて宮本が「廃墟」の発見によって建築あるいは世界像を定理したように。
 いま「ときの忘れもの」で連載を書かせてもらっている「松本竣介を読む」のなかで、松本の油彩≪街≫についてこう書いたことがある。「微妙に明かるい。この青味は一日の終わりに近い時間のようにも思える。光が失なわれつつある直前、逆に目の前に拡がる光景のすべてが鮮明に判別できる」。これ、ちょっとした気づきにすぎなかったのだが、宮本は30点ほどの(多分)スナップショットで「見える」ものについての内実を「薄明」の発見を通して豊富化している。それを一切の説明抜きで見せようとしたのだ。
 何年か前にこの画廊で、若き日の宮本がニューヨークの下町に入りこみ、辻々の交叉点で360度の映像を撮影した記録を見たことがある。いかにも彼らしいプロジェクトだが、ひとりではなく誰かを連れて行った。でないと撮っているあいだに路上に置いた機材や荷物を持っていかれるおそれがあったからと言う。そういう環境がよく伝わってくる映像の終わり頃に、突然路地のいちばん奥に双対の世界貿易センターが現れる。彼自身もすっかり忘れていたらしく、この思いがけない貴重な記録に嬉しそうだった。いまは国際的な写真作家が超ポピュラーな東京名所を、むつかしいことなんか言わずに面白いカメラで平気で撮りに行く。私がニューヨークの映像を思い出した所以だが、そこで彼は「薄明」に気がつく。風景を構成する道や家、金網のフェンスや鳥居、水面や花の内部に放たれる一瞬の運動としての色と光。それらは縦長の、狭窄的な視界に切り取られているために、風景はいっときも定住できずにあわただしく過ぎて行く。空間枠が移ろう時間をつくり出しているのだ。それに気がつくや彼は、無邪気な撮影から一転して世界像まで一気に急滑降してしまう。これはこちらの勝手な思い込みではあるが、今回のシリーズは、予想をはるかにこえてますます宮本隆司の写真である。私にとっては彼の作品という枠さえ外れて、自分の体験や記憶が世界内事件のように蘇ってきた幸福感をうまく言い表せないのが残念だ。会期が終わってしまったところでの報告も残念だが、また見られる機会がいつかくるでしょう。
(2012.11.4 うえだ まこと)

後記
 上の小文を書いた2ヶ月後、つまり今年の1月5日、私は宮本隆司のアトリエにいた。あの一連の写真はピンホール・カメラで撮影したと教えてくれたついでに久しぶりに会おうということになったのだ。彼のアトリエは初めてである。そこで見せてもらった厚紙製のカメラももちろん初めてである。
 くわしくは『アサヒカメラ』2012年11月号に宮本が書いている(190−91ページ)ので興味のある方はぜひ読んでいただきたいのだが、スイスのバーゼル在住のグラフィックデザイナー、ペーター・オルベの手づくりカメラで、これを使って写真を撮ってほしいと、いきなり彼から依頼があったのだという。
 宮本という写真家はとくに廃墟やホームレスの住まいを撮った作品で知られるが、私がある意味ではそれ以上に驚嘆したのが、小屋状のピンホール・カメラのなかに自ら入りこんで壁・天井・床に感光紙を貼りめぐらし、自分のシルエットとともに周りの風景を写しとった巨大な写真である。その発想・行動力・出来上がった写真の美しさをことごとに人に吹聴していた。なのに今回は、ピンホールによるとは頭のなかをかすりもしなかったとは。オルベのカメラはフローニーフィルムを使用する。ピンホールといえば直接感光紙を使う1点限りの写真と思いこんでいた。TARONASUの会場では大小2種類のサイズになっていたので、気づきからますます遠ざかったのだろう。
 でも予備知識がなかったからこそ写真そのものをよく見ることができたと思う。上の文章で直すところはとくにない。やや長時間露光になるので当然、三脚に帯ゴムでカメラを固定したというから、文中の「(多分)スナップショットで」という一節はその点では間違いだが、「薄明」の寸陰の変容を瞬時にとらえるという、そこではカメラではなく人間の眼に気持ちが移っていた、というしかない。
 言いわけがましくなりました。宮本隆司とのはなしはとてもおもしろかったのだけれど、それは別の機会に。「美術展のおこぼれ」は月数回の更新となっていますが、このところ「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」にかかりきりになり、おまけに本業の建築関係の編集と執筆が年末年始を通して修羅場化しているので、しばらくはサボリがちになりそうですが、とりあえずは明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。
(2013.1.9. うえだまこと)

植田実 Makoto UYEDA
1935年東京生まれ。早稲田大学第一文学部フランス文学専攻卒業。『建築』編集スタッフ、その後、月刊『都市住宅』編集長、『GA HOUSES』編集長などを経て、現在フリーの編集者。住まいの図書館編集長、東京藝術大学美術学科建築科講師。著書に『ジャパン・ハウスー打放しコンクリート住宅の現在』(写真・下村純一、グラフィック社1988)、『真夜中の家ー絵本空間論』(住まいの図書館出版局1989)、『住宅という場所で』(共著、TOTO出版2000)、『アパートメントー世界の夢の集合住宅』(写真・平地勲、平凡社コロナ・ブックス2003)、『集合住宅物語』(写真・鬼海弘雄、みすず書房2004)、『植田実の編集現場ー建築を伝えるということ』(共著、ラトルズ2005)、『建築家 五十嵐正ー帯広で五百の建築をつくった』(写真・藤塚光政、西田書店2007)、『都市住宅クロニクル』全2巻(みすず書房2007)ほか。1971年度ADC(東京アートディレクターズクラブ)賞受賞、2003年度日本建築学会文化賞受賞。磯崎新画文集『百二十の見えない都市』(ときの忘れもの1998〜)に企画編集として参加。

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