ときの忘れもの ギャラリー 版画
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植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」
第40回 「生誕120年 木村荘八展」  2013年5月31日
「生誕120年 木村荘八展」
会場:東京ステーションギャラリー
会期:2013年3月23日―5月19日

 本業の建築関係の用事に振りまわされて、ちょっとのあいだこの欄を休んでいたつもりが、気がついてみると4ヵ月以上も空いていたのに驚いた。理由はほかにもあって、同じときの忘れものでの連載「生きているTATEMONO 松本竣介を読む」に気持ちが入りこんでしまってなかなか脱け出せない。
 それも、そろそろ終わりが見えてきて、第12回では竣介が編集・発行した月刊誌『雜記帳』(1936年10月―39年12月)を読みはじめている。その第5号(37年2月号)に木村荘八がデッサンとエッセエを寄稿している。「降誕祭 夕」と題されたそれは、三田通りのレストラン内の賑わいを洒脱なタッチで描き、クリスマスという行事は「日本の、西洋好みの、餘程烈しい一つの異例として、後世の史家に點檢される現象でせう。實は却つてクリスマスは段段すたるんぢゃないかと思はれます」と書いている。いまの日本でも相変わらずのクリスマス騒ぎを見たら、画家はどう思うだろうか。
 竣介は東京生まれではあるが、物心がつく前に家族とともに岩手に引越し、東京に戻ってくるのは17歳のときだから、彼の描いた東京風景は初めて遭遇した新しい世界を散策者としてあるいは旅人として、あるいは異邦人としての詳細かつ発見的な記録、つまりは外から見た風景といってもいい。
 これにたいして竣介よりほぼ20歳年上の木村荘八は東京日本橋の牛肉店「いろは」で生まれ、その家業の環境のなかで育つ。ハイティーンのころは萬鐵五郎や岸田劉生など当時の前衛にたいする意識が強かったようだが、1930年代に入ると≪歌妓支度≫、≪牛肉店帳場≫、≪浅草寺の春≫など、私たちにとって親しい「荘八の世界」が現れてくる。彼は40歳を迎えている。あまりにも自分そのものの記憶であるために外部において成立する作品としては本来は描けないものを描くために、いいかえればたんなる「懐しさ」に堕さないために、荘八は記憶に虚構性あるいは記憶から微妙に隙を空けたシナリオを介入させることによって懐しい光景を強靭化した。いや、内側からの東京を辛うじて絵にすることができたというべきか。
 そして荘八が『雜記帳』に寄稿した1937年は、あの『?東綺譚』の挿絵が登場した年でもある。今でも受け継がれている新聞の連載小説に説明的な絵をつけるという形式にとくに人物描写は見事に応えていると同時に、家々やまちの様子はたんなる説明をこえた異常な密度で描き込んでいる。硬質な線を銅版画のように張りめぐらし、小塔が並び連なるような家並み、どの路地にも共通する底知れない奥の気配は、ドイツ表現主義の絵画や映画のセットみたいに、ただの写実を突き抜けるような迫力がある。でもそれは紛れもない東京の今は失われた風景なのだ。荘八の内側からの東京の描きかたを、そのように辿るしかない。
 生粋の東京人、風俗画の名手などと呼ばれる木村荘八像はある意味で明快である。絵も文章もシャキッとしている。でも本当は幻視の人ではなかったか。絵になり得ない絵を、空しいまでに、しかし決してあきらめずに見続けていたのではなかったか。それを裏づけるように思われるのが最初期から最晩年まで断続的に描き継がれていた油彩である。1910年代の≪日比谷公園≫、≪虎の門付近≫、≪窓外屋根≫、≪樹の風景≫、≪坂のある風景≫、≪大学構内≫、20年代の≪於東京帝大構内≫、そして40年代50年代にかけての≪庭日沒≫、≪風吹く≫、≪窓外風景≫、≪和田日沒≫、≪新宿遠望≫等々、建物や樹木を一応題材としているが、いわゆる絵画としての構図や筆致が支えようもなく押し流され消失する瞬間だけを捉えている眼差し、いいかえれば風景が風景としてある根を刈り取って、自律的な諧調の色彩や輪郭線という要素にシフトし、その結果として建物や樹木を写実の外に生かしている眼差しを感じてしまう。眠りから目覚めた瞬間、それまで唯一の現実だった夢がもう絵にも文章にもとどめられない感覚に近いというか。作品タイトルにもうかがわれるように、風の、日沒の、遠くの、窓外の一瞬を追っている。すなわち自分の内側を幻視している。
 ごく当然のものとして自分が生きてきた時間を突然眼に見える絵画として考えたとき、どういう折り合いがつくのか。木村荘八の作品は切実で不思議な位相のなかに見えてくる。
(2013.5.22 うえだ まこと)

植田実 Makoto UYEDA
1935年東京生まれ。早稲田大学第一文学部フランス文学専攻卒業。『建築』編集スタッフ、その後、月刊『都市住宅』編集長、『GA HOUSES』編集長などを経て、現在フリーの編集者。住まいの図書館編集長、東京藝術大学美術学科建築科講師。著書に『ジャパン・ハウスー打放しコンクリート住宅の現在』(写真・下村純一、グラフィック社1988)、『真夜中の家ー絵本空間論』(住まいの図書館出版局1989)、『住宅という場所で』(共著、TOTO出版2000)、『アパートメントー世界の夢の集合住宅』(写真・平地勲、平凡社コロナ・ブックス2003)、『集合住宅物語』(写真・鬼海弘雄、みすず書房2004)、『植田実の編集現場ー建築を伝えるということ』(共著、ラトルズ2005)、『建築家 五十嵐正ー帯広で五百の建築をつくった』(写真・藤塚光政、西田書店2007)、『都市住宅クロニクル』全2巻(みすず書房2007)ほか。1971年度ADC(東京アートディレクターズクラブ)賞受賞、2003年度日本建築学会文化賞受賞。磯崎新画文集『百二十の見えない都市』(ときの忘れもの1998〜)に企画編集として参加。

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