小林美香のエッセイ「エドワード・スタイケン写真展によせて」 第1回 エドワード・スタイケン写真展によせて(1) 2010年12月16日 |
エドワード・スタイケン、3つのポートレート
20世紀のアメリカを代表する写真家、エドワード・スタイケン(Edward J. Steichen, 1879-1973)は、ファインアートとしての写真作品の制作、ファッション写真や広告写真、フォトジャーナリズム、展覧会の企画など多岐にわたる活動を通して、写真や芸術、出版の世界に多大な影響を及ぼしてきました。今回の展覧会の出品作品に触れる前に、写真の技術的な進歩や、二つの世界大戦を経てきた世界の変容、写真家という職業の社会の中での位置づけに照らし合わせながら、スタイケンの活動の軌跡を手身近にたどってみたいと思います。 スタイケンは、その長いキャリアの中で折に触れてセルフポートレートを制作し、発表してきたほかに、ほかの写真家が撮影したスタイケンのポートレートも数多く残っています。一連のポートレートを追って見ていくと、彼がどのように自分自身のことを認識し、また周囲の人にどのような人物として印象づけたいと考えていたのか、ということがよくわかりますし、その時々での写真技術や表現のあり方や、社会の状況なども読み取ることができます。数あるポートレートの中でも、二十世紀初頭、大戦間期、第二次世界大戦期に撮影された三点に注目し、その間に見られる際だった特徴について見ていきながら、スタイケンの人物像に迫ってみましょう。 「画家」としてのセルフポートレート ルクセンブルグ公国に生まれたスタイケンは、1881年に家族と共にアメリカ合衆国中西部に移住します。幼い頃から芸術や絵画に興味を持ち、16歳の頃から独学で写真を撮り始め、当時隆盛していたピクトリアリズム(絵画主義写真:撮影、カーボン印画法、ゴム印画法などのプリント技術により、軟焦点の画面を作り出し、版画や油絵のような絵画的な表現効果を追求する表現運動)に関心を寄せるようになりました。20世紀初頭には度々渡欧し、さまざまな芸術家と交流を持ちながら、画家・写真家として活動し作品を発表し、1902年にはアルフレッド・スティーグリッツらと共に芸術としての写真を目指すグループ、フォト・セセッションと結成し、フランスとアメリカに暮らしながら作品を制作、発表します。卓越した撮影技術や印画法を駆使して制作された作品の中には『The Pond?Moonlight(池?月光)』(1904)ちなみにこの作品は、2006年に290万ドルという一点の写真としては最高額で落札されたことでも知られています)があります。当時20代の若きスタイケンのセルフポートレート「Self-Portrait with Brush and Palette(絵筆とパレットを持ったセルフポートレート)」(1901)の中で、彼はスモックを着て、右手に絵筆を、左手にパレットを持った画家の姿として、暗い背景の中から浮かび上がるように佇んでいます。当時印象派の絵画に深く心酔していたことも反映され、絵画と写真による作品制作を結びつけて、アトリエの中で絵筆を持つ自身の姿として表そうとする意図を見て取ることができます。 アトリエからスタジオへ 人工照明に照らし出されたセルフポートレート 絵画のような表現効果を追求するスタイケンの写真表現に、大きな変化がもたらされたのは、第一次世界大戦後のことでした。スタイケンは、世界大戦期にアメリカ陸軍航空部に従軍し、フランスで空中写真の撮影、偵察の任務に就き、兵士達に撮影の技術指導も行っていました。戦後には作品の傾向は大きく変化し、絵画的な表現から脱却して、写真の鮮鋭な描写力を活かし抽象的な表現を追求するようになります。
さらに、1923年には絵画の制作と発表を完全にやめてしまいまいました。雑誌社のコンデ・ナスト社の主任写真家になり、J・トンプソン代理店で広告写真の制作を手がけ、ギャラリーでの展示を目的とした、限られた人が目にするプリントの制作よりも、雑誌や広告など印刷媒体で発表し、不特定多数の人々の注意を惹きつけるような写真を目指すようになりました。1923年から1938年にかけて、雑誌『ヴォーグ』でファッション写真を、『ヴァニティ・フェア』で著名人のポートレート写真を発表し、人工照明を駆使したドラマティックな構図や表現力により高い評価を得るようになります。(今回展示されるポートフォリオには、この時期に制作されたものが数多く含まれています。) 「Self Portrait with Photographic Paraphernalia(写真機材に囲まれたセルフポートレート)」(1929)は、スタイケンが50歳の時に撮影されたものであり、大判のカメラや照明機材が設置されたスタジオで、撮影の仕事中にスタイケンがモデルに笑顔で何かの指示を与えているかのような仕草をしている様子がとらえられています。
写真家を束ね、指揮を執る司令官 雑誌等での活躍を通して、一躍時代の寵児となったスタイケンは、アメリカが第二次世界大戦に参戦した1942年にアメリカ海軍航空隊写真部隊(Naval Aviation Photographic Unit)を設立し、司令官として太平洋戦争戦線を記録し、戦争報道に従事する写真家部隊の指揮を執るようになります。隊員の一人、ビクター・ジョーゲンセンが、空母レキシントンの甲板の上に立ち、カメラを構えるスタイケンを撮影したポートレート「Cmdr Edward Steichen photographed above the deck of the aircraft carrier USS Lexington (CV-16)」(1943)は、60歳代半ばにして、前線の撮影を指揮する凛々しさを強く印象づけます。 アトリエの中の画家からスタジオの中でさまざまな撮影機材を操る写真家へ、さらには空母の上で指揮を執る司令官へ、と激動する時代の流れのなかで自在に活躍の舞台を切り拓いてきたスタイケンの作品とはどのようなものだったのでしょうか。次回は、展示されるポートフォリオの作品を、同時代に制作されたほかの作品を照らし合わせながら解説していきます。 (こばやし みか) ■小林美香 Mika KOBAYASHI 写真研究者。国内外の各種学校/機関で写真に関するレクチャー、 ワークショップ、展覧会を企画、雑誌に寄稿。 2007-08年にアメリカに滞在し、国際写 真センター(ICP)及びサンフランシスコ近代美術館で日本の写真を紹介する展覧会/研究活動に従事。 著書『写真を〈読む〉視点』(2005 年,青弓社)、訳書に『写真のキーワード 技術・表現・歴史』 (共訳 昭和堂、2001年)、『ReGeneration』 (赤々舎、2007年)、 『MAGNUM MAGNUM』(青幻舎、2007年)、『写真のエッセンス』(ピエブックス、2008年)などがある。 「小林美香のエッセイ」バックナンバー エドワード・スタイケンのページへ |
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