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太田岳人のエッセイ「よりみち未来派」
第8回 2021年6月12日
未来派芸術家列伝(その1)――バッラ

太田岳人


これまでの連載で私は、シュルレアリスムとの対比、女性芸術家の参加、収蔵作品の豊富な美術館といった、いくつかのテーマから未来派について書いてきた。今回からはしばらくの間、特に私が個人的に好み、関心を持っている何人かの未来派芸術家の話へと、さらに「よりみち」をしていきたい。最初に取り上げるのは、トリノ出身でローマを拠点に活躍したジャコモ・バッラ(1871−1958)【図1】である。バッラが未来派の一員であったのは、芸術運動の最初期から1930年代初頭にかけての約20年強であるが、この彼の軌跡は作品と合わせて非常に面白い。

202106太田岳人_図1:バッラ《自身−コーヒー》図1:バッラ《自身−コーヒーAutocaffè》、1928年(板に油彩、63.5×42.5p、ウフィツィ美術館、フィレンツェ)
※Fabio Benzi, Giacomo Balla: genio futurista, Milano: Electa, 2008より。

一般的な近現代美術史の概説で未来派が言及される時、最も取り上げられやすいバッラの作品は、1910年の運動参加直後のものである。未来派の当初のスローガンや各種の宣言文の記述を、あたかも図解したかのように見える部分が多いからであろう。画面の右上の三日月を中央の人工光源が放散するV字の光が圧倒する、ニューヨーク近代美術館所蔵の《アーク灯》は、「月光を殺そう!」というスローガンを容易に想起させるし、オルブライト=ノックス美術館所蔵の《鎖につながれた犬のダイナミズム》は、1910年4月づけで発表された「未来派絵画技術宣言」の「走る馬の足は4本ではなく、20本であり、その動きは三角形となる」といった記述のイメージとそのまま重なる。最初にバッラについて私が知ったのは、若桑みどりの大学での講義によるものであるが、若桑先生は人と犬の足がたくさん現れてグルグル回る後者の表現を「赤塚不二夫のマンガに出てくるような」とたとえていた【注1】。

いささかマンガチックにすら見える、彼の運動や速度の表現への最初の模索は、私が最初に未来派へ興味を覚えたきっかけの一つであるが、彼のこうした愚直と言ってもよい部分は、未来派への参加の過程にも表れている。芸術運動全体を率いるマリネッティより年上のバッラは、すでに1909年の未来派誕生の時点で、イタリア版のポスト印象派と言える「分割主義」の若手画家として、芸術批評からも一定の注目を受けていた存在であった。東京都現代美術館で2001年に行われた「20世紀イタリア美術展」にも出品された《狂女》【図2】は、その時期のものである。1901年から1904年にかけてのバッラは、のちの初期未来派の造形芸術家の中核となるボッチョーニ、カッラ、セヴェリーニらに対して、最初にポスト印象派的表現=反アカデミズムの美を手ほどきしているが、この3人はいずれもバッラと10才強の差がある。単純な年齢差で言えば、分割主義の代表者でその精密な表現を人道的社会主義の題材と結びつけた《第四身分》で名高い、ジュゼッペ・ペッリッツァ・ダ=ヴォルペード(1868−1907)などの方がより近い。ミラノで未来派が発足し、同地の若手芸術家たちがそれに飛びついた際、バッラは彼らの問題意識にローマから呼応することで、獲得しかけていた地歩をいったん放棄したのであった。

202106太田岳人_図2:バッラ《狂女》図2:バッラ《狂女La pazza》、1905年(キャンバスに油彩、175×115p、ローマ国立近現代美術館)
※東京都現代美術館・日本経済新聞社(編)『20世紀イタリア美術』(東京都現代美術館・日本経済新聞社、2001年)より。

自らを未来派と位置づけるバッラであったが、当初の運動内では、宣言の署名者としてたびたび名を連ねながらも、その作品に対する評価はそれほど高くなかった。1912年2月にパリのベルネーム=ジュヌ画廊で開かれた、最初の国外でのグループ展である「イタリアの未来派画家展」において、先述の《アーク灯》はカタログにタイトル(フランスではLumière électrique)が掲載されながら、実際には展示されなかったことで知られている。その理由は、単純に制作が間に合わなかったからではなく、かつて彼が絵画表現を手ほどきした後輩たち(特にボッチョーニ)から、バッラの作品がむしろ手ぬるいもの、まだ「未来派」と呼ぶべき内実に達していないものと判定され、出展が拒否された結果であると考えられることが多い【注2】。これが正しければ彼の面目は丸つぶれであり、「なんと生意気な若造ども」と未来派とも縁を切ってもおかしくないところであるが、あくまで批判を真面目に受け取った結果、独自の抽象化された速度・運動の表現をつくりあげていったところに、彼の真剣さを読み取ることができる【図3】。

202106太田岳人_図3:バッラ《ダイナミックな膨張+速度》図3:バッラ《ダイナミックな膨張+速度Espansione dinamica + velocità》、1913年(キャンバスに紙とラッカー、64×106p、ローマ国立近代美術館)
※東京都現代美術館・日本経済新聞社(編)『20世紀イタリア美術』(東京都現代美術館・日本経済新聞社、2001年)より。

バッラも未来派の一員として加わった示威運動の結果、イタリアの第一次世界大戦への中途参戦が開始されると、ミラノのグループを構成していた弟分の画家たちは、戦地で不慮の死を遂げたり運動の方向性に疑問を持ちだしたりといった形で、徐々にそこから去ってしまう。しかしそれによって、奇しくも彼の芸術的試みは運動全体でかえって浮上することになる。より若い世代の芸術家として現れた、フォルトゥナート・デペロとの共同宣言「宇宙の未来派的再構築」(1915)【図4】は、従来の芸術に使われなかったあらゆる新しい素材を導入し、絵画や彫刻といった芸術の諸ジャンルの境界を超克するという造形原理を、「未来派的抽象主義者」の立場から訴えるものであった。1920年代以降も彼は、未来派的な図柄や色彩にもとづく服飾品や家具のデザイン【図5】、人工物のオブジェも自然の一部とみなす環境芸術といった、先駆的な試みを繰り広げていくことになるが、まさにこうした彼の傾向が両大戦間期の未来派表現の一つの基調をつくりあげていくのである。

202106太田岳人_図4:バッラとデペロ「宇宙の未来派的再構成」図4:バッラとデペロ「宇宙の未来派的再構築」、1915年3月
※Fabio Benzi, Giacomo Balla: genio futurista, Milano: Electa, 2008より。

202106太田岳人_図5:バッラ《蝶−花》
図5:バッラ《蝶−花Farfafiori(襟巻きのための図案)》、1920年(紙に鉛筆とパステル、124×49.5cm、ビアジョッティ=チーニャ財団、グイドーニア)
※Fabio Benzi, Giacomo Balla: genio futurista, Milano: Electa, 2008より。

今年はバッラ生誕から150周年にあたるが、春から初夏にかけて、イタリアと日本の双方で記念展が実施されていることを最後に紹介しておきたい。イタリアで5月8日まで開催されていた「ジャコモ・バッラ:最初の自画像から最後の薔薇へ」展は、ローマのスペイン広場のそばにあり、今も未来派を重要な取引品の一つとしているルッソ画廊(Galleria d’arte Russo)によるもので、19世紀末から1930年代にかけての作品を広く取り扱うものであった。おいそれと渡航できない現状にはまたしても悲しみを覚えずにはいられないが、幸い同画廊は公式サイトで「ヴァーチャル・ツアー」を公開しており、会期中の様子を今でもうかがい知ることが可能である。日本では、イタリアの近現代美術作品の蒐集を目標の一つとしているふくやま美術館が、所蔵するバッラ作品を一挙に公開している。こちらでは1910年代におけるスケッチ類が主なものの、最近同館を訪れる機会があった方の話によれば、正式なカタログがないのが残念なほど興味深い内容であるとのことである【注3】。こちらは6月20日まで開催予定なので、広島の近辺在住の方、近日中に現地に赴く機会のある方にはまだチャンスがあるだろう。
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注1:私はこの「赤塚マンガの足」のたとえが今でも好きで、自分でバッラについて話す時もつい口に出してしまうものの、実際に意味がよく通じるのはギリギリ私の同世代までかもしれない(なお、赤塚と若桑先生は同年の生まれである)。ただここ数年に限っては、二十歳前後の学生諸君の反応が少々よくなってきた感触があるのだが、それが赤塚マンガの深夜アニメーション向けリメイクの影響なのかどうかは不明である。

注2:ボッチョーニ(1882−1916)、カッラ(1881−1966)、セヴェリーニ(1883−1966)はいずれも、ピカソ(1881−1973)とブラック(1882−1963)というフランスのキュビスムの二人の主要人物と同世代にあたっている。後者の表現を一気に摂取しつつあった前者が、かつての師の作品にむしろ時流からの遅れを感じだしても不思議ではない。

注3:幸いにも、展示目録とともに解説のPDF版は公式サイトにアップされている。特に後者には、私が本稿では省略したバッラの履歴と様々な実験がまとめられているので、この芸術家に興味を覚えた方はそちらもぜひご一読されたい。

おおた たけと

太田岳人のエッセイ「よりみち未来派」は偶数月の12日に掲載します。次回は2021年8月12日の予定です。

■太田岳人
1979年、愛知県生まれ。2013年、千葉大学大学院社会文化科学研究科修了。日本学術振興会特別研究員を経て、今年度は千葉大学・慶応義塾大学などで非常勤講師。専門は未来派を中心とするイタリア近現代美術史。
E-mail: punchingcat@hotmail.com

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