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植田実のエッセイ「美術展のおこぼれ」
第26回 「瀧口修造とマルセル・デュシャン」展  2012年1月27日
「瀧口修造とマルセル・デュシャン」展
会期:2011年11月22日(火)―2012年1月29日(日)
会場:千葉市美術館

 前回、ごく単純で短い感想を書かせてもらった東京国立近代美術館の「ぬぐ絵画」展のことが、思いがけなくそのときの記憶がまだ何らかのかたちで動いているのを感じる。というのは美術館に所属する学芸員にとって、その美術館に所蔵されている作品とは何であるかを、つくづく考えさせられたからだ。所蔵品、とくに重要作品として評価が定まっているものは学芸員の日々に関与し、またその仕事の歳月を越えてあり続ける存在だろう。それにどう対処するのか。そんなこと考えもしなかったのだけれど、「ぬぐ絵画」に寄せられた名解説はそれほどに思いがけなかった。
 もうひとつ別に、学芸員の発想が大きな展開となって展示会場のシーンとなるのかと思ったのが、この瀧口・デュシャン展である。「300点をこえる作品や資料をとおして、瀧口修造とマルセル・デュシャンの交流を紹介」と案内のちらしにある内容だが、そのテーマの下に集められた展示品は、当館所蔵のものをはじめ、数多くの美術館、大学図書館、文庫やアーカイブ、会社、さらには個人の所蔵品が手広く集められているのだ。どの美術館がどういう作品を所蔵しているかなんて、これも今まであまり意識しなかったけれど、デュシャンのような硬質なコンセプチュアル・アートが、実際に触することができるモノとして日本全国に分布している事実にあらためて興味がわいたのである。
 いま、コンセプチュアル・アートと安易に書いたけれど、こうした括り方というか先入観を根底から更新できる機会が今回の企画展ではないかという期待が、じつはいちばん大きかった。《大ガラス》のより徹底的な新しい解読に出会えるかもとか、瀧口については彼のデカルコマニーやバーント・ドローイングがこれでもかこれでもかというぐらいたくさん見られるかもとか、勝手に思いこんで行ったのだが、それはちょっと違っていて、しかし案内のちらしを後でよく読むと同展記念のピアノ・リサイタルや講演会があり、市民ギャラリーでは毎年瀧口展が別に企画・開催されている。今回の企画展の枠の外にさらに広く、また持続的な関連イベントが充実しているようだった。
 では企画の軸となっているふたりの「交流」を見ていけばいいのかというと、すこし戸惑う気持ちが残る。何を交流と考えればよいのか。それはきわめてプライヴェートな領域だから、こちらは部外者として覗きこむような気分でもある。そのなかで文句なく圧倒されたのはふたりのあいだに交された書簡である。図録にはこれまで確認された全22通が翻訳されているが、厳密にはただの往復書簡とはいえないそこには、アーティストとしても人間としてもずいぶん違うふたりの接点がじつに鋭く、感動的に、ある意味ではズレとして表れている。瀧口においては1958年の夏のある午後、ポルト・リガトのダリ邸のバルコニーにたまたま彼を見かけて声をかけたら呼ばれて、行ってみるとデュシャンがそこにいてダリに引き合わされたという、まるで夢のような、しかし、第三者にとっても鮮烈なイメージをたたえた出会いが、瀧口自身さえ意外であったに違いない文面をデュシャン宛に書く衝動をもたらした、そして打てば響くようなデュシャンの返事が書かれる「交流」の始まりを、私たちはこの眼で知ることになる。そこには一点のくもりもない瀧口修造とマルセル・デュシャンが見えている。この接点からふたりの、アートという、明快にして厄介な営為が自分の問題としても辿れそうな気がしてくる。
 で、私なりの空想展示構成は、会場の入口部分を、まずこれらの数少ない書簡の展示室として、それに直接関係する資料(Rrose Se'lavyのサインなど)だけをそこに添え、そのあとに続く部屋をアーカイブとして残り全ての作品・資料の展示にあてる。図録も同様で、書簡を冒頭に置く。
 ナマイキにもこんな提案をしてみました、というより、実際このように頭のなかでは全体を再構成しながら見てまわったわけなのだけれど、かつて現実に手紙だけの企画展示があったのを思い出した。渋谷のギャラリーTOMで2008年頃に開かれた渋澤龍彦と堀内誠一の往復書簡展である。壁に張られた90通近くをひたすら読むだけの展示で、とくに細かな字で便箋をびっしり埋めつくした堀内の手紙は大変だったが、ふたりの手書きを一字残らず読みつくしたあとの爽快感は忘れられない。
 企画展示のテーマの強化のためには、作品の数と種類をいくらでも膨張させていく方向と、削ぎに削いでいく方向とがあることに気がついたわけだが、そこに美術館の性格と会場規模が決定因として関わるのは当然なのだろう。たとえば千葉市美術館は展示室も広い公立だし(ちなみに設計は丹下健三門下の大谷幸夫。今度の機会に初めて訪ねることができた)、一方のギャラリーTOMは私設の小さな画廊である(これもついでに言えば設計は吉阪隆正門下の内藤廣)。そのあいだに生起するダイナミズムのなかで私たちは美術を楽しませてもらっているというべきなのか。
 さらに所蔵という要素が加わるとどうなるのか、いやこれ以上の素人談義はやめにするが、ひとつだけとても印象的だった美術館カタログに触れておく。この欄で前に報告した、パリ、ポンピドゥセンター所蔵作品による「シュルレアリスム」展の巻頭論文はポンピドゥセンター国立近代美術館副館長ディディエ・オッタンジェによるものだったが、その内容は、シュルレアリスムとは何かとか、今日の状況におけるシュルレアリスムとかの評論ではなく、同館が長い歳月をかけてシュルレアリスム作品を購入してきたプロセスを具体的に記述しているだけで、だからこそこの美術館の姿勢、そして現在におけるシュルレアリスムの意味が強く迫ってきたのだった。美術館がこのように自らをありのままに語ることで美術の役割を啓蒙することは日本ではあまり見られないと思うのだがどうなんだろう。
(2012.1.23 うえだ まこと)

植田実 Makoto UYEDA
1935年東京生まれ。早稲田大学第一文学部フランス文学専攻卒業。『建築』編集スタッフ、その後、月刊『都市住宅』編集長、『GA HOUSES』編集長などを経て、現在フリーの編集者。住まいの図書館編集長、東京藝術大学美術学科建築科講師。著書に『ジャパン・ハウスー打放しコンクリート住宅の現在』(写真・下村純一、グラフィック社1988)、『真夜中の家ー絵本空間論』(住まいの図書館出版局1989)、『住宅という場所で』(共著、TOTO出版2000)、『アパートメントー世界の夢の集合住宅』(写真・平地勲、平凡社コロナ・ブックス2003)、『集合住宅物語』(写真・鬼海弘雄、みすず書房2004)、『植田実の編集現場ー建築を伝えるということ』(共著、ラトルズ2005)、『建築家 五十嵐正ー帯広で五百の建築をつくった』(写真・藤塚光政、西田書店2007)、『都市住宅クロニクル』全2巻(みすず書房2007)ほか。1971年度ADC(東京アートディレクターズクラブ)賞受賞、2003年度日本建築学会文化賞受賞。磯崎新画文集『百二十の見えない都市』(ときの忘れもの1998〜)に企画編集として参加。

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