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小林美香のエッセイ「母さん目線の写真史」
第6回 子どものお尻  2013年11月25日
日々育児に取り組んでいると、頻繁に子どものお尻を見ることになります。現在2歳の娘のパンツやオムツを替えたり、便器に座らせたり、風呂に入れたりするときに、娘のお尻を時折まじまじと見つめるにつけ、後数年もすればお尻や腰にある蒙古斑も消えてしまうのだろうか、いずれ自分でトイレに行くようになったり、一人でお風呂に入ったりするようになれば、彼女のお尻を見る機会も減っていくのだろうかと思いを巡らせたりもします。娘のお尻の状態が常に意識の片隅を占める生活をしているせいか、子どもが真っ裸やお尻を出している状態で写っている写真を目にすると、食い入るようにその姿を、とくにお尻を見つめてしまいます。断言しても差し支えないと思うのですが、私に限らず、乳幼児育児者は概ね「子どものお尻コンシャス」な生活をしているのです。今回は、現在の私にとって、常に意識の片隅を占めている「子どものお尻」が写った写真を取り上げてみたいと思います。

(図1)
ジョセフ・クーデルカ
「Gypsies」より
スロヴァキア、ヴィノドル 1969

ジョセフ・クーデルカ
「Gypsies」より
スロヴァキア、スヴィニア 1966

■「ジプシーズ」の子ども
私が客員研究員として勤務している東京国立近代美術館で、現在「ジョセフ・クーデルカ」展が開催されています(会期:2013 年11月6日〜2014年1月13日)。展覧会出品作品の中でも大きなボリュームを占めているのが、ジョセフ・クーデルカ(Josef Koudelka, 1938- チェコスロヴァキア出身)が1960 年代にスロヴァキアを中心にジプシー(ロマ)の居住地区で暮らす人々を撮影し、1975年に写真集と展覧会という形で発表したシリーズ作品「ジプシーズ(Gypsies)」です。展覧会の準備作業の過程で写真集を見たり、展示室で実際の作品を見たりする中で、幼い子どもたちが室内のみならず、屋外でも裸に近い状態で写っている写真が多いことにかなりの衝撃を受けました。
(図1)には、ぬかるんだ道を歩く二人の女性たちと子どもたちが捉えられており、真ん中の女性は裸の子どもを抱きかかえ、何かを訴えかけるような表情で正面に向かって子どもを差し出し、子どもは怪訝な表情でカメラの方を見つめています。背景に広がる荒れ地の情景や、女性の傍らにいるボロボロの汚れたシャツをまとった裸足の少年の姿からも、ジプシーの居住地区の劣悪な生活環境が伺われます。女性に抱えられた子どもが屋外で真っ裸の状態で晒されている様子は痛々しくもあり、また同時に厳しい環境の中に産まれ、生きることを宿命づけられた野生動物にも似た強さを具えているようにも感じられます。
娘が家の中を裸で走り回ったりしているのを目にしても感じることですが、幼い子どもの裸の姿は、そのすばしっこい身のこなしも相まって、小動物のような存在感を放っています。そのことを思い起こさせるのは、(図2)に写っている女の子です。背格好から推測して、私の娘に近い年齢のようにも見えることも手伝って、「ジプシーズ」の中に登場する子どもの中でも最も強く惹きつけられます。真っ裸でもじゃもじゃに絡みついた髪の毛、指をくわえるような仕草をして、爛々と目を輝かせてニヤリと笑い、悪戯を企んでいるような表情を浮かべて佇むその姿は、野生動物を通り越して異界から闖入した「妖怪」のような迫力を具えています。日頃娘の写真を撮る際には、幾重にも「親馬鹿フィルター」をかけて「可愛らしい存在」としての姿を残しておこうとしているだけに、(図2)のようにな写真を見ると、子どもの野性、妖怪性を直裁に捉えるクーデルカの鋭い視線に唸らされます。

■子どもの身体のかたち エドワード・ウェストンマヌエル・アルバレス・ブラボ
成長の記録として娘の写真を撮っていると、被写体としての子どもの身体の魅力に気づかされるとともに、写真家が自分の子どもを被写体にして撮影した写真の中でも子ども独特の体つきやディテールに焦点をあわせた作品に惹きつけられるようになりました。写真史上の古典的な作品の中から例を挙げるならば、写真の鮮鋭な描写を追求するストレート写真の展開の中で注目された写真家の作品が挙げられます。たとえば、ストレート写真の美学を極限にまで追求したアメリカの写真家、エドワード・ウェストン(Edward Weston 1886-1958)は、三男のニール・ウェストン(Neil Weston 1916--1998)の身体を、その体つきや肌を精緻に描写するような方法で捉えたシリーズ作品を制作しています。(1977年に、「Six Nudes of Neil, 1925」というポートフォリオが制作されています。)シリーズの中でも「ニールのトルソ」(図3)という胴体を正面から捉えた写真が最も良く知られていますが、(図4)のように背後から腕や背中、お尻、太ももを捉えた写真や(図5)のような胸から下と下半身、脚を捉えた写真もあり、一連の写真を見てゆくと、ウェストンが息子の身体をさまざまな向きや距離から眺め、断片的に切り取るように撮影することで、身体の骨格やプロポーションを綿密に構成されたフレーミングの中に収めていることを看て取ることができます。

(図3)
エドワード・ウェストン
「ニールのトルソ」1925年

(図4)
エドワード・ウェストン
「ニール」1925年

(図5)
エドワード・ウェストン
「ニール」1925年

(図6)
マヌエル・アルバレス・ブラボ
「おしっこをする男の子」(1927)

ところで、私の場合は男の子を育てていないので、家の中では(図5)に写っているようなおちんちんを見ることはありません。娘が通っている保育園では、トイレトレーニングのために登園時や夕方帰宅する前に、保護者が小さい便器が並ぶトイレに子どもを連れて行って便座に座らせる決まりになっているので、娘と便器が隣り合わせになった男の子がおしっこをするのを傍らで眺めることがあります。そんな時に決まって思い出すのが、エドワード・ウェストンとも親交のあったメキシコの写真家マヌエル・アルバレス・ブラボ(1902-2002)の作品「おしっこをする男の子」(図6)です。ブラボの息子がホーローの器におしっこをする様子を捉えた作品で、いかにも赤ちゃんらしいお腹の丸みと器の形が呼応するような構図で勢い良くおしっこが飛び出る様子は見ていて惚れ惚れとします。
この作品を10年以上前に購入したブラボの回顧展のカタログ『Manuel Alvarez Bravo』(ニューヨーク近代美術館、1997)で初めて目にしたときは、「なぜ子どもがおしっこをする場面を撮ったのだろう」と怪訝に思い、戸惑いを感じるのが先立ち、正直あまり好きな作品だと思って見てはいませんでした。しかし、母親になり、自分の子どもがトイレでおしっこをする場面に立ち会って「上手におしっこできてよかったねぇー」と褒める立場になると、この作品に言いようのない有り難みが感じられるようになりました。このような見方の変化が、「母さん目線」の発露の最たるものかもしれません。
(こばやし みか)

小林美香 Mika KOBAYASHI
写真研究者。国内外の各種学校/機関で写真に関するレクチャー、 ワークショップ、展覧会を企画、雑誌に寄稿。
2007-08年にアメリカに滞在し、国際写 真センター(ICP)及びサンフランシスコ近代美術館で日本の写真を紹介する展覧会/研究活動に従事。
著書『写真を〈読む〉視点』(2005 年,青弓社)、訳書に『写真のキーワード 技術・表現・歴史』 (共訳 昭和堂、2001年)、『ReGeneration』 (赤々舎、2007年)、 『MAGNUM MAGNUM』(青幻舎、2007年)、『写真のエッセンス』(ピエブックス、2008年)などがある。

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