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大谷省吾のエッセイ「野田英夫展によせて」
第4回 野田英夫展によせて(4)  2011年4月22日
 野田の作品における幻想性は、シュルレアリスムなどから影響を受けつつも、性や死の要素が排除されているようだ。同様の傾向は、ベルリン・ダダの画家ジョージ・グロスからの影響においても認められる。この連載の2回目で触れたとおり、野田はウッドストックの芸術家村に滞在中、ドイツから亡命してきたグロスと交流している。都会を行きかう人々をモンタージュ的に構成していく手法は、グロスの作品から触発されたものかもしれない。しかしやはりグロスにおける退廃的な性や死の要素は、野田の作品からは注意深く排除されている。そしてまた、野田の作品からは、直接的な政治的プロパガンダも読み取りにくい。野田自身、アメリカ共産党に関係し、来日の目的のひとつには情報収集活動があったとする説もあるにもかかわらず、である。それはなぜか。
 海野弘氏の言うように「日本の特高は当然、野田を警戒していたはずであり、それだけに、彼は日本の現実へのプロテストを絵の主題として選びえなかったのかもしれない」(註1)。おそらくその通りであろう。結果として、「むしろ野田の作品にみられるのはもっと個人的な感情、苦しい生活に呻吟する人びとへの思いや、みずからその人びとのなかにまじって生きてゆきたいという帰属願望である」(註2)という印象を、見る者に強く訴えかけてくることになる。市井の人々とともにありたいとする願い。しかし、それは野田にとって単純に実現できるものではなかった。野田の甥にあたる版画家の野田哲也氏は、次のように述べている。
 「アメリカに住み、アメリカの生活に順応しながらも、何かそこには違和感を感じ、たえず自分の気持の奥底には日本が存在していた。おおげさな言い方をすれば、おじはそのような生活の葛藤の中で当時生きていたように思われる。それがすなわち、現実の空間の中で人間そのものに対する旺盛な関心となってあらわれ、自分の接した身のまわりのごくありふれた情景や人々に目がそそがれるのである。(中略)そこには自分の生活空間を温かいまなざしで見つめながら、ときには味わったであろう屈辱感や疎外感、あるいは貧困とはうらはらに、心豊かに「生活の喜び」と「生きる喜び」が表現されている。そして、しみじみとした哀愁の中にもロマンがあり楽しさが隠されている」(註3)。
 二つの祖国の間で、帰属すべき場所を求めてさまよう画家。その帰属願望が大きければ大きいほど、逆に描かれた作品には、どこか満たされぬ思いが漂うように思われてならない。それは素描においても同様である。今回展示される素描には、街の人々を描いたスケッチがいくつも含まれているが、そこに描かれた人物たちは、楽しげでありながら、ある種の隔たりを感じさせないだろうか。多くの場合、野田が描く人物の瞳は、塗られずに白く抜かれている。そのため視点が宙をさまようような、どこか遠くを見ているような印象を、見る者に与えるのである。そのため、私たちは楽しげな街の人々を、何かのフィルター越しに覗き見ているような、自分とは切り離された場所にいる人々を眺めているような気分になっていく。それはとりもなおさず、画家の満たされぬ思いの追体験ではないだろうか。
 最後にもういちど、画家と社会との関係について考えてみよう。今回の連載の1回目で私は「アートはあくまで個人のもの、として引きこもってはならない。しかし社会のため、と称して多数派によりかかってもいけない。個と社会との間で葛藤し、引き裂かれながら、その痛みに耐え、とどまり続けるとき、それは私たちの心を打つのではないだろうか」と書いた。野田は前衛芸術にも関心を払ったが、「芸術のための芸術」に閉じていくことはなかった。しかし特定のイデオロギーを押し付けるような表現もとらなかった。市井の人々とともに生活を分かち合うことを望み、そして同時に、それが叶わぬこと、つまり自らが常に共同体の外部に位置付けられてしまうことへの、ある種の諦念をも併せ持っていた。野田が今日なお私たちを魅了するのは、この個と社会との間の複雑な想いを、誠実に表しているためであろう。

(註1)海野弘「ムーヴィング・マン」『美術手帖』1979年9月、p.225
(註2)杉村浩哉「彼方へのまなざし」『日本の近代美術8 日本からパリ・ニューヨークへ』大月書店、1993年、p.90
(註3)野田哲也「おじ野田英夫の作品」『野田英夫展』カタログ、熊本県立美術館、1979年
(おおたにしょうご)

■大谷省吾 Shogo OHTANI
1969年生まれ。筑波大学卒、同大学院博士課程中退。東京国立近代美術館主任研究員。シュルレアリスムを中心とした西洋の前衛美術が、日本にどのように紹介され、展開したかという問題について研究。
これまで手がけた東京国立近代美術館での主な展覧会は、1997年「北脇昇展」、2003年「地平線の夢 昭和10年代の幻想絵画展」、2007年「靉光展」、2009年「河口龍夫展」、2010年「麻生三郎展」、現在開催中の「岡本太郎展」など。

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