もの派とは1970年前後の日本で起こった美術の動向です。当時、多摩美術大学で教鞭をとっていた高松次郎の影響もあり、当時の作家たちは絵画表現を捉えなおそうと試みます。1968年に行われた展示『Tricks and Vision展(盗まれた眼)』では、西洋から受け継がれた絵画表現に疑問を投げかけるような作品が出品されました。この展示には高松次郎や関根伸夫が出品しており、少なからずその後のもの派の活動に影響を与えることとなります。また、当時は公募展の作品分野が「絵画」「彫刻」から「平面」「立体」と区分されるように変化した時代でもありました。このような流れを受けて、作るという行為から遠ざかり、木材、石、ガラスや土といった素材をほとんど加工せず作品の主役として用いた立体作品が、1968年から1969年にかけてたくさん生み出されました。その内の多くは絵画出身の作家たちによるものでした。
もの派を代表する関根伸夫の《位相−大地》は、大きな穴が円筒状に掘られ、その隣に穴とほぼ同サイズの円筒状の土が配置されており、まるで穴の中の土がそのまま地上に移動されたように思わせます。李禹煥の作品《現象と知覚B》では、ガラス板の上に大きな石が置かれ、恐らくその行為によりガラス板には全体にひびが入っています。
このような作品を通し、作家たちは物質・物体を通して自己と外界とを認識しようと試みます。これらの作品が集められた展覧会が企画されたり、雑誌で特集が組まれたりするなかで、これらの動向はもの派と呼ばれるようになりました。
1986年には美術評論家の峯村敏明により、以下のように改めて「モノ派」と定義されます。
“「モノ派」とは、1970年代前後の日本で、芸術表現の舞台に未加工の自然的な物質・物体(いか「モノ」と記す)を、素材としてでなく主役として登場させ、モノの在りようやモノの働きから直かに何らかの芸術言語を引き出そうと試みた一群の作家たちを指す。“
(峯村敏明「「モノ派」とは何であったか」Kamakura Gallery) から一部抜粋
もの派が日本の現代美術に与えた影響は大きく、後にもの派を乗り越えた表現も数多く生まれました。それらはポストもの派と呼ばれ、『もの派とポストもの派の展開 1969年以降の日本の美術』という展覧会が峯村敏明監修のもと1987年に西武美術館にて行われています。
関連作家:李禹煥、関根伸夫、吉田克朗、菅木志雄、成田克彦、小清水漸、榎倉康二、高山登、原口典之、本田眞吾、藤井博、羽生真、野村仁、狗巻賢二
|
|
関根伸夫
《位相−大地》ポスター
1970年
オフセット
写真:村井修
|
|
|
李禹煥
《現象と知覚B》(後に関係項、Relatumに順次改題)
1969年
(もの派とポストもの派の展開 : 1969年以降の日本の美術) |
|
|
菅木志雄
《並列層》
1969年
パラフィン
(1970年--物質と知覚 : もの派と根源を問う作家たち) |
エッセイ
関根伸夫のエッセイ
展覧会
2021年
◆Art Basel OVR: Pioneers 3月24日〜3月28日
2018年
第302回)吉田克朗 LONDON 1975 2018年8月24日―9月8日
特集展示:クリストと関根伸夫 7月6日〜7月13日
◆銀座Gせいほう「関根伸夫展」 6月18日〜6月29日
2006年
第127回) オブジェ展―私の好きな4つの版画と20のオブジェ― 2月24日〜3月11日
|