小林美香のエッセイ「ジョック・スタージス展によせて」 第1回 ジョック・スタージス展によせて(1) 2010年8月11日 |
ジョック・スタージェスの名前が日本で広く認知されるにいたったのは、写真集『The Last Days of Summer』(Aperture、1991)が日本語版『あの夏の最後の日』(1992年
JICC出版))としても刊行されたことによるところが大きい。
この写真集には、1970年代末から1990年まで長期間にわたって8×10の大判カメラで撮影された精緻なモノクロームの写真が纏められていて、タイトルが示すように、浜辺や水辺で夏の終わりのひとときを過ごすさまざまな人たちや幼い子どもたちの姿が写しとられている。今回の展覧会で展示されるカラー写真の作品を見る前に、この写真集の作品について少し触れておきたい。 写された人たちは、屈託のない笑顔を見せるというよりも、レンズを直視していたり、目を伏せていたり、瞑想にふけっていたりするかのような表情を浮かべている。そして、水着や夏服を身につけている場合もあれば、何も身につけずに裸のままで立っていたり、家族で体を寄せ合うようにして夏の陽光を浴びて微睡んでいたりもする。
スタージェスの作品が話題を呼び、注目を集めたのは、人びとが裸のままで、あたかも衣服を身に着けている時とほとんど違いのないような「自然な」身振りで佇み、触れあい、生活を送っているさまが写し取られていたからであり、その情景は現実の世界に根ざしているものの、あたかもそれが浮世離れしたものとして描き出されているものとして受け止められたからであろう。 一連の写真の撮影場所は、アメリカ西海岸やフランスのヌーディスト・ビーチ。ヌーディズム(裸体主義nudism)とは、産業化・近代化が進行していった19世紀末のヨーロッパで自然回帰を訴える運動の中で誕生した思想であり、欧米各地でヌーディズムを実践する人たちが集まるコミュニティーやビーチが形成され、一つのライフスタイルとして認知されているというが、日本においては馴染み深いものではない。寡聞にしてヌーディズムの成立と発展の詳しい背景までは知らないが、ヌーディズムにはナチュリズム(naturism)という別の呼称もあるように、「裸であること」を、 人の「本来の(あるべき)姿」と見なす考え方は、キリスト教的な背景、すなわちアダムとイブが原罪を冒す以前の、裸体であることに性的な羞恥心を抱くようになる以前の人間観への希求にある部分裏づけられているのかもしれない。 写真史の文脈に照らし合わせると、スタージェス以前にヌーディストのコミュニティーをとりあげたものとして想起されるのは、アメリカの写真家ダイアン・アーバス(1924-1971)が1960年代半ばに撮影したものである。たとえば、「夕暮れ時をヌーディスト・キャンプで過ごす一家 ペンシルヴァニア州」という作品では、野原に停められた車の傍らで寛いでいる一家の様子がとらえられているが、私が見る限りではヌーディズムというライフスタイルを現代社会の中で選び取り、実践することの奇異さ、ある種の歪さ、不自然さの方が強烈に印象に残ってしまう。翻って、スタージェスの写真に再び目を向けると、被写体になった人たちが与える印象に「自然さ」があるとするならば、その印象とは一体どのようなものであり、そして何に由来するものだろうと思わずにいられない。もちろん、この印象の違いは、被写体となる人の選び方、アプローチの仕方、撮影の仕方など、アーバスとスタージェスそれぞれのスタンスの違いによるものであり、どちらかの優劣を言わんとしているのではない。ただ、スタージェスの写真が社会の一側面を記録したものというより、どこか超然とした別の次元を作り出しているかのように映るのだ。 『The Last Days of Summer』の中でも、とりわけ子どもたちをとらえた写真からは、「超然とした」存在感を感じとられるものが多い。一連の作品から連想されるのは、19世紀のビクトリア朝時代のイギリスで活躍した写真家ジュリア・マーガレット・キャメロンの写真である。 両者には1世紀以上の隔たりはあるものの、クローズアップでのモデルの微細な表情や眼差しのとらえ方、ドラマティックな光の効果に共通性が感じられる。 また、キャメロンは幼い子どもたちや少女のポートレートを撮影する際に、天使や妖精のような髪型やコスチュームをまとわせるなどの演出をほどこしたり、神話や宗教画を彷彿とさせるような題名を添えていたりもしている。(例えばThe Angel at the Tomb 1870など)
スタージェスの場合は、キャメロンのようにモデルたちに明確な主題や天使や妖精のような役割になぞらえて演出をほどこすという方法を採っているわけではないにしても、ミスティー・ドーン(Misty Dawn)というモデルを彼のミューズとして長年にわたって撮り続け、彼女が成長しその体が変化していく様子をとらえている。後に彼女を撮影した写真をまとめて『Misty Dawn / Portrait of a Muse』(Aperture, 2008)という写真集を刊行するにいたるなど、撮影するモデルや情景にたいして、彼が思い描く理想的なありようや美しさを希求し続けていることが伺い知れる。このような姿勢は、『LIFE TIME』(Steidl、2008)として纏められたカラー写真の作品にも通底しているが、モノクロームとカラーによる表現の違いもある。次回は『LIFE TIME』について見ていきたい。 (こばやし みか) ※Jock STURGESの読み方については、ときの忘れものでは「ジョック・スタージス」としていますが、小林さんは「ジョック・スタージェス」とされており、原文のままとしました。 ただし、編集部でつけたタイトルは<ジョック・スタージス新作写真展に寄せて>とさせていただきました。 ■小林美香 Mika KOBAYASHI 写真研究者。国内外の各種学校/機関で写真に関するレクチャー、 ワークショップ、展覧会を企画、雑誌に寄稿。 2007-08年にアメリカに滞在し、国際写 真センター(ICP)及びサンフランシスコ近代美術館で日本の写真を紹介する展覧会/研究活動に従事。 著書『写真を〈読む〉視点』(2005 年,青弓社)、訳書に『写真のキーワード 技術・表現・歴史』 (共訳 昭和堂、2001年)、『ReGeneration』 (赤々舎、2007年)、 『MAGNUM MAGNUM』(青幻舎、2007年)、『写真のエッセンス』(ピエブックス、2008年)などがある。 「小林美香のエッセイ」バックナンバー ジョック・スタージスのページへ |
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