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小林美香のエッセイ「ジョック・スタージス展によせて」
第2回 ジョック・スタージス展によせて(2)  2010年8月14日
今回のジョック・スタージェス展は、写真集『LIFE〜TIME』(Steidl、2008)に連なる写真により構成されている。写真集を通して見ると、収録されている写真の大半は、にフランス南西部のジロンド県にあるモンタリヴェというナチュリスト・ビーチで撮影されており、撮影時期は1996年から2007年までの10年余りに及んでいる(註:裸体主義は、アメリカではヌーディズム、欧州ではナチュリズムと呼ばれている)。『The Last Days of Summer』と比較して格段にサイズも大きく、カラー写真であることも相まって、ページを繰っていくと、モデルの身体により肉薄して接し、写された空間の広がりや空気、微妙に移ろいゆく光までをも感じとることができる。
スタージェスが作品制作の手段としてカラー写真に重点を置くようになった背景には、それまでに使用していたフィルムや印画紙などの感材の入手が実際的に困難になったという事情もあるが、スタージェスが積極的にデジタル技術の革新的なまでの向上がもたらした表現の可能性を追求してきたという経緯もある。8×10カメラによる白黒写真の作品を特徴づけていた、端正で緻密なコンポジションや画面全体の静謐さ、モデルとの緊密な関係性を伺わせる視線に加えて、カラー写真においては、産毛や肌の肌理を際立たせ、カメラに眼差しを向ける瞳を透る光の強さまでをもより立体感を伴って感じさせるような、描写性が際立ってきている。
そのことをとくに強く印象づけるのは、遠浅の海辺で撮影された写真群である。
日が落ちる前の時間帯に撮影されたものが多く、暖かみを帯びた色の光がモデルたちの身体に影を作り出している。濡れた砂浜は鏡のように空の色と身体を映し出し、ぼやけた遠景の海や雲へとつながっていく。砂浜の反射像や遠景を背景にして、モデルの身体は立体的に浮かびあがるようにも見える。白黒写真の画面で描き出されていたような、超然とした印象を与えるような光景とはまた別のあり方で、カラー写真で矩形の画面の中に切り取られた光景もまた、現実とは別世界の次元として立ち現れて見えてくる (E348) 。

ジョック・スタージス
"E348"
2009年
Digital Pigment Print
37.5×39.3cm
Ed.25
サインあり

また、(E409)のように、モデルにポーズを指示して距離を置いて撮影された写真では、〈ヴィーナスの誕生〉のような古典名画を思い起こさせる光景がとらえられている。現実にこのような光景があり得るのか、さまざまな作為や演出の上に成り立って作り出された場面ではないかと、見ていて一抹の訝しさを覚えてしまう。

ジョック・スタージス
"E409"
2009年
Digital Pigment Print
36.4×47.0cm
Ed.25
サインあり

このような印象は、写真を見る側だけではなく、実際に被写体になったモデルにとっても共通したものらしい。クリスチャン E. クリンガー監督のドキュメンタリー映画"Line of Beauty and Grace, a documentary about Jock Sturges"では、ジョック・スタージェスがモンタリヴェで作品制作に取り組む様子が、モンタリヴェでの暮らしの様子も交えて描かれている。この映画の中で、1990年代から現在まで、少女時代から成人の女性になるにいたるまでスタージェスに撮影されてきたヴァネッサが、ナチュリストとしてモンタリヴェで生活することについて、また長らくモデルとなってきた自らの体験の中で感じてきたことを語っている。
彼女の言葉によれば、彼女自身も自分が写っている写真を見て、「Too good to be true(本当であるには、あまりにも良すぎる。信じられないほど素晴らしい。)」と感じるのだという。この写真を見る人が、スタージェスがさまざまな演出を施した上で撮影しているのでは、という疑念を持つかもしれないと言いおいた上で、ヴァネッサは、自分の体をありのままで慈しみ、家族とともに時間を過ごすモンタリヴェでの生活の素晴らしさや、スタージェスが長い時間をかけて培ってきた人びととの関係性に根ざして写真を撮り続けていること、かつて子供として撮影されていた人が、今や自らの子どもと一緒にモデルになっていることについても言及している。彼女が強調しているのは、一連の写真がモンタリヴェでの生活の実際のありようを映し出している、ということであり、この言葉は、スタージェスが「私は自分の写真で真実を追求している。」と述べる言葉に呼応しているようでもある。
モデルと写真家の間の緊密な関係に裏づけられたこのような共通した見解は、個別の写真から看て取られるというよりも、それぞれのモデルが数年に渡って、さまざまな空間やシチュエーションで撮影されている写真の流れを辿ってみたり、それぞれの写真に写し取られている微細な表情や仕草を見比べたりすることで、想像されるのではないだろうか。たとえば、今回の展示では、エステルという幼い少女が数枚の写真に登場している。どの写真においても、カメラに向ける強い眼差しが印象に残るが、クローズアップのポートレートとして撮られた写真と、家族やほかの人と接している写真を見比べると、その時々の佇まいの違いや、体全体の存在感、写真と写真の間に流れる微細な時間の移ろいを感じとることができる。このような違いや移ろいとは、おそらく衣服を身に着けて写真に撮られている場合では、おそらく表面には表れにくく、把握されがたいものなのかもしれない。

ジョック・スタージス
"E357"
2009年
Digital Pigment Print
47.0×37.7cm
Ed.25
サインあり

ジョック・スタージス
"E354"
2009年
Digital Pigment Print
37.4×46.3cm
Ed.25
サインあり

裸で写ることによってあらわになる全身の存在感は、一人一人が別個に写っている写真だけではなく、数人、あるいは群像として写っている写真において、また異なった強い印象を生み出し、人びとの間の関係性のありようを想像させる。E363のように、海辺で砂を小山のように盛って作った円陣の中に佇む人びとは、個別の人たちがたまさか休暇の一時にそこにいるというだけではなく、ある種の宿命を共にして集っているかのような一体感を放ってさえいるようだ。

ジョック・スタージス
"E363"
2009年
Digital Pigment Print
27.8×47.0cm
Ed.25
サインあり

人が裸の状態でいること自体は、何ら取り立てるほどのことはないのだが、そのことが生活様式の一つの指針となり、また眼差される対象となることで、ある種の「異化」の作用が発生しているようだ。最後に締めくくりとして裸の状態を見ることと、その距離感について考えてみたい。
(こばやし みか)

※Jock STURGESの読み方については、ときの忘れものでは「ジョック・スタージス」としていますが、小林さんは「ジョック・スタージェス」とされており、原文のままとしました。
ただし、編集部でつけたタイトルは<ジョック・スタージス新作写真展に寄せて>とさせていただきました。

小林美香 Mika KOBAYASHI
写真研究者。国内外の各種学校/機関で写真に関するレクチャー、 ワークショップ、展覧会を企画、雑誌に寄稿。
2007-08年にアメリカに滞在し、国際写 真センター(ICP)及びサンフランシスコ近代美術館で日本の写真を紹介する展覧会/研究活動に従事。
著書『写真を〈読む〉視点』(2005 年,青弓社)、訳書に『写真のキーワード 技術・表現・歴史』 (共訳 昭和堂、2001年)、『ReGeneration』 (赤々舎、2007年)、 『MAGNUM MAGNUM』(青幻舎、2007年)、『写真のエッセンス』(ピエブックス、2008年)などがある。

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