駒井哲郎の名作「樹木 ルドンの素描による」は、伊達得夫の書肆ユリイカから出版された小山正孝との詩画集「愛しあふ男女」に挿入されたエッチングです。
自身「巴里から帰って来て仕事もなく、もちろん絵も売れなくて困っている時期がずいぶん永く続いたように思う。そんなある時、小山正孝の詩集に銅版画で挿絵をやらないかといって来てくれた・・・(中略)。早速、とびついて仕事をした。これが日本に帰ってからの最初の詩画集だった。」(ユリイカ1971年12月号)と回想しているように、フランス留学(1954〜55年)から帰国した後のスランプを脱出し、作家が新たな成熟期に向かう転機となった作品であり、一連の樹木連作の出発点となった作品です。
駒井先生の画集や、関連図書の多くに掲載されているので、駒井ファンなら一度は眼にしたことがあるのではないでしょうか。私も実物の作品だけは何度か扱いました。
ところが(これが重要なのですが)、この「樹木 ルドンの素描による」は単品で発表されたわけではなく、小山正孝との詩画集に挿入されたものです。
お恥ずかしいことながら私は、つい先日まで、この詩画集本体に触ったことがありませんでした。余りに有名なので、本体から離れて作品のみが流通してしまった結果でしょう。
このたびようやく念願の小山正孝詩・駒井哲郎画「愛しあふ男女」を完全なる形で遂に手にすることができました。その結果、意外な事実が判明しました。
先ず、ねたをばらす前に、この作品が文献にどう記載されているかチェックしましょう。
文献(1)駒井哲郎先生の生前に刊行されたレゾネ『駒井哲郎銅版画作品集』(1973年 美術出版社 227点収録)
以下<>内が引用文です。
<64 樹木 ルドンの素描による
エッチング 23.3×20.1cm
1956 限定125部>
文献(2)次に、没後に刊行されたレゾネ『駒井哲郎版画作品集』(1979年 美術出版社 366点収録)ではどうなっているか。
<84 樹木ルドンの素描による
エッチング 23.3×20.1cm
1956 限定125部>
レゾネ番号がずれた以外は(1)とまったく同じです。
文献(3)それでは収録点数が最大の東京都美術館刊行の『駒井哲郎銅版画展』図録(1980年 409点収録)ではどうか。
<85 樹木 ルドンの素描による
エッチング 23.3×20.1cm
1956 Ed125 E・A
<愛しあう男女>小山正孝詩,駒井哲郎画,1957年ユリイカ刊行の挿画
美ー84>
ほとんど同じで、E・A
が加わったことと、本の題名が間違っているくらいですかね(正しくは、<愛しあふ男女>)。
つまり後者2冊とも(1)の生前レゾネを丸写ししたんでしょうね。
ところが、(3)の図録の巻末(以前指摘しましたが、この貴重資料の図録にはノンブルがないので、引用箇所を明示できない)の年譜には面白い記述があります。
1957年の項に<小山正孝詩集 愛し合ふ男女(書肆ユリイカ 限定152部)>とあります。
またまたタイトルが間違っているのはご愛嬌ですが、とにかくここで初めて152部という限定部数の分母が出てきました。
本文には125部、年譜には152部と記載されている。いったいこれはどうしたのでしょう。
文献(4)次に、『駒井哲郎ブックワーク』(1982年 形象社)を見てみましょう。
94ページに「愛しあふ男女」の表紙と挿画の図版が掲載されており、以下の説明がされています。
<愛しあふ男女 小山正孝著 昭和三二年(一九五七) ユリイカ刊
『愛しあふ男女』の挿画五点とオリジナル・エッチング「樹木 ルドンの素描による」一点入り。限定一五二部。B四判のカルトン入り。>
この「駒井哲郎ブックワーク」に掲載された図版の左下の限定番号を虫眼鏡で見ると確かに105/152となっています。
〜ん、
では最後に実物にあたりましょう。
詩画集の奥付にはご覧のように、<限定150部の内 50 番>とはっきり記載されています。
ところが、中に挿入された実物の銅版画作品には作品左下に限定番号が鉛筆で記入されていますが、なんと<50/152>と書いてあります。
実物の詩画集本体の奥付には限定150部とありながら、挿入された作品には152という限定部数の分母が記入されている。
これじゃあ、混乱するはずですね。
レゾネなど文献4種類には、125部、152部という限定部数表記が混在し、
実物の詩画集には、150部、152部という限定部数表記が混在する、という世にも不思議な事態が今まで放置(?)されてきたわけですね。
これをどう考えるべきか、次回に熟考しましょう。
2006.12.11 綿貫不二夫