天使の謡う夜に
2005年10月14日ジョナス・メカス展オープニング
掲示板(投稿者:芳賀)より
昨日はジョナス・メカスさんのオープニングありがとうございました。本当に夢のようなひとときでした。
到着したのは夜7時を過ぎ、すでにお開き間近という頃合いでしたが、いつもの閑散(!?)とした青山CUBE1階は若い人たちで一杯。すごい人ですね、と三浦さんに声を掛けたら、さっきまでは文字通り立錐の余地もなかったとのこと。メカスさんの人気を改めて知らされたことでした。多くが映像の勉強している学生さんたちということでしたが、今や、教科書の一番最初に出てくるのがメカスさんだということで、その名前を知らない映像学科の学生はいないのだそうです。
メカスさんは、むしろひっそりと、会場の隅におられました。熱気でむんむんしている会場の中で、そこだけがしんとしずまって、空気が透明で、時間がゆっくり流れているような感じがしました。次々に差し出される著書に、嫌な顔一つされず、ゆっくり、ていねいに、サインをしておられました。わたしも申し訳ないような思いで、持参した岩波文庫版の『森の生活』を差し出しました。青いボールペンで、扉の枠線にかからないよう左上隅に小さく、でもははっきりと、「Jonas Mekas TOKYO−2005」とサインをしてくださいました。家宝です
。
オープニングを終えて、メカスさんは近くの中華料理店へ。綿貫さんが「どうぞ」と声をかけて下さいました。一瞬ひるみましたが、こんな機会は二度とないと意を決してご一緒させていただくことにしました。テーブルには、メカスさんを中心に詩人の吉増剛造さんと日本で一人と言われるリトアニア文学者の村田郁夫さんと翻訳者の木下哲夫さん、リトアニア大使館からは栗色のショートボブが素敵だったA女史(かわいいお嬢様がご一緒でした)、それに綿貫さん。そこに長谷川潔と舟越保武のコレクターで今回のメカス展の最初の一枚を購入されたSさん。そして後からは名編集者植田実さんまで加わられました。実にこの世のものとも思えない豪華なテーブルになんとも場違いな私でしたが、これもなけなしの勇気と財布を振り絞って「WALDEN」の2枚目の購入者となったおかげかと、この時ばかりは自分の蛮勇に感謝しました。
それにしてもあれだけの来場者がいて購入者が2名とはと、Sさんと溜息。限定わずか10部のメカスさんの新作が6万3000円だというのにこれはなんとしたことか、セットで購入する映像学科はないのか、美術館はどうしたと、一枚購入しただけ(しかも支払いはまだ)の自分を棚に上げて悲憤慷慨したことです。綿貫さんによるとメカスさんにはすでにニューヨークのギャラリーがついていて、そこでの価格は800ドル。今回の「ときの忘れもの」の価格はメカスさんが日本にいる間だけのスペシャルプライスで、2度とこの値段では出せないとのことでした。自分の財布の薄さをこれほど呪ったことはありませんでした。
最初に乾杯。メカスさんはなんと日本酒を熱燗でリクエスト。うーん、これがメカスさんかと変なところで感激してしまいました。やああって吉増先生が、メカスさんを歓迎して歌をうたいましょうとアピール。詩人は詩人を知るということでしょうか。詩人への感謝と讃辞は歌をもってというグローバルスタンダードに一同そうかと頷くもののだれも立候補せず。尾立さんにご指名がかかるものの、さすがにここで今週のベストテンというわけにもいかないというわけか(違うかも知れない)歌は固辞されて感謝と歓迎のスピーチ。どなたか、の声についに「ときの忘れもの」亭主が立ち上がり、「まつっしぃまぁああの〜」と朗々と歌い出されました。群馬のマンドリンマスターがなぜ「大漁歌込」を?と一同怪訝な面持ちを浮かべましたが、メカスさんが本当に破顔一笑という感じで聞いておられるのを見て納得しました。日本の古くからの民衆の歌でお迎えしたいとの想い(ひょっとすると水揚げならぬ売り上げが「大漁」であってほしいとのギャラリストの願望だったのかも知れませんが)を一同ひしひしと感じたことです。
メカスさんは大きな布のトートバックから手のひらサイズの(本当に可愛い)ビデオカメラ(遠くてメーカーや製品名は分かりませんでした)を取り出すと、撮影をはじめました。立ち上がりもしなければ、ましてしゃがんだりもしません。椅子に座ったまま、しずかに、ゆっくり、いとおしむようにひとりひとりに(そして綿貫さんには特別じっくり)レンズを向けておられました。唐突に、名人の能舞台とはこのようなものかも知れないと思いました。「巨匠の撮影」といった仰々しさは微塵もありません。綿貫さんは、ひょっとしたら自分が撮影されていることさえ気がつかなかったのではないでしょうか。ああ、メカスさんはこんなふうに撮影をするのだ。こんな撮影からあのフィルムが生まれるのだと納得したことです。
続いてリトアニア大使館のA女史が「私はリトアニアの歌を歌います」とリトアニア語で歌い出されました。日本側で意味が分かって聞いていたのは村田先生だけだったはずですが、古代の巫女の神託のような質量と、海の上を渡ってきて森の中を抜けていくような軽やかさに、自分たちがいるのが2005年の日本ではなく、座っているのが中華料理店の椅子ではないような、時間と空間の感覚が一瞬解けていくような不思議な浮遊感を覚えたことです。
やああってまた座がざわつき始めました。突然、吉増先生が「しっ、しずかに」とおしゃべりを制止されます。いつの間にかメカスさんがうたっておられました。メカスさんが歌っている! みんな、これは本当に起こっていることなのかと息を呑みました。一言だって聞き逃すものかと耳をそばだてます。しずかに、ゆっくり、たかく、ひくく、なだらかな丘を登り降りするような旋律、ふかいふかいひとのこころのそこのしずかな水面にひとつまたひとつと波紋を落としていくような音のつらなりです。後で村田先生に聞くと、若い男女の悲恋をうたったリトアニアの古い歌ということでした。途中からA女史も声を合わせ、ときに見つめ合い、ときに顔をよせながら歌う二人の歌を、一同この世のものではないようにして聞いたことです。村田先生によると、リトアニア語は古代のサンスクリット語に近い、ヨーロッパでもっとも古い言語の一つということでした。普通に話していても歌っているようで、歌っていても話しているような、言葉がものと釣り合う重さを持ち、うたが出来事そのものを生じさせることのできた時代の名残を見たような気がしました。
歌い終わると一瞬の沈黙、そして割れるような拍手です。みんな興奮しています。メカスさんの歌を生で聞けるなんてこれは奇蹟です。孫子の代までの語り草です。もしここがグラウンドなら全員ハイタッチです。皮切りをしてくださった大功労者綿貫さんの胴上げでもしかねません。室内で残念などと不埒なことを考えていると、こんどは3拍子の元気のいい声が聞こえてきます。メカスさんです。思いっきり元気な、飛び跳ねるような、踊るようなメロディです。3匹の雌牛がお酒を飲んで酔っぱらって・・・という歌だそうです。A女史が唱和します。こんどはお嬢さんも一緒です。メカスさんはテーブルを叩き始めました。みんな手拍子を取り始めます。床を踏みならす者もいます。メカスさんは大きく両手を振り始めました。時に叫ぶように、時に吼えるようにメカスさんは歌い続けます。あの静かな撮影が嘘のような、激しい、荒々しい、そして実に楽しそうな、嬉しそうなメカスさん。ああ、これがメカスさんなのだ、この激しさがあってこその静けさ、この情熱あってこその静謐、この圧倒的な肯定あってこその軽やかさなのだと、思わず目尻が熱くなります。指笛が鳴ります。いったいどうしたのかとお店の人が顔を出します。それでもメカスさんは歌い続けます。みんな笑っています。涙ぐんでいる人もいます。これはもうひとつの祝祭です。
拍手。拍手。また拍手。みんなスタンディングオベーションです。メカスさんがすこし上気した顔で、すこし恥ずかしそうに、そして本当に嬉しそうに会釈されました。
「さあ、メカスさんをお送りしましょう」と吉増先生。この空気をこわしたくない、この時間をそのまま固めてしまいたいとの一同の思いを代弁して下さいました。お店にご迷惑になるので(ってすでに十分迷惑をかけているような気がします・・・でも実はものすごに貢献をしたはずなのですが・・・)私たちはここでお見送りです。
それぞれ荷物を手にしながら、よかったね、すばらしかったね、すごい夜だったねと言葉を交わしあいました。みんな信じてくれないんじゃないか、と心配を始める人までいます。天使の謳う夜は、こうして更けていったのでした。
こんな、忘れることのできないすばらしいときをうみだしてくださった綿貫さん、吉増先生、村田先生、テーブルについてくださった皆様、そして何よりもメカスさんに感謝です。
メカスさんはもうしばらく日本に滞在されるということです。ひょっとしたらまた思いがけないサプライズがあるかもしれません。ここはしばらく「ときの忘れもの」に通いつめなくてはと決意を新たにしたことでした。そして、せっかくのメカスさんの新作展が、最終日には「完売」となるよう祈ってやみません。(あれ、祈るだけ?)
(上記の文章は、2005年秋に来日されたジョナス・メカスさんを囲んでの一夜の様子をコレクターの芳賀さんがときの忘れもののホームページ「掲示板」に書き込みされたものです。
当日、果たしてメカスさんが来てくれるか、ぎりぎりまではらはらどきどきでした。「先のことは何も約束できない」というのが、メカスさんのいつものモットーであり、波瀾の人生を歩んで来られた人のそれが精一杯の誠実さだということを私たちは良く知っているので、どうなっても仕方ないと覚悟をしていました。
おかげさまで、オープニングは大盛況でした。メカスさんの静かな、しかし骨のある人柄は、おそらくお会いになった方、皆さんがお感じになったのではないでしょうか。
二次会には20数人が来て下さったのですが、まさか30年ぶりに人前で歌わせられることになるとは・・・、「歓迎の歌を」という吉増先生の呼掛けに誰も応えず、何とかその場をとりつくろわなくちゃとの思いでつい立ってしまった。
いやあ音程はめちゃめちゃ、歌詞を忘れて立ち往生するわで、さんざんでした。
しかし、それが呼び水になって、メカスさんの素晴らしい歌を聞くことができたので、前座としては大満足です。
信じられないような至福の時間を皆さんと共有できたことは、画商冥利につきます。これで作品がたくさん売れたら言うことないのですが・・・
それと、当日メカスさんの作品をお買い上げいただいたのは、お二人だけではなく、数人おられます。
なにせあの混雑で、赤丸つける余裕もなかった。Yさん、Kさん、Fさん、ごめんなさい。)
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