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エレン・フォン・アンワース
Ellen Von UNWERTH
1954年ドイツ生まれ。女性ファッション写真家。モデルとして活躍した後31歳から独学で写真について学ぶ。1986年頃からはファッション・広告写真を専門とし、『GUESS?』の広告写真で評判となり、94年初写真集「SNAPS」を刊行。またスーパーモデルを起用したビデオ「Inferno!」を発表するなど映像クリエーターとしても活躍。挑発的でセクシーなイメージの中に、女性らしさやロマンチシズムを併せ持つ作風を有する。
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横須賀功光 Noriaki YOKOSUKA
1937年神奈川県生まれ。日本大学在学中から資生堂の社内報『ハウスオーガン』の仕事に就く。華麗なテクニックを駆使した資生堂化粧品の広告写真で注目され、広告写真界のリーダー的存在として活躍。海外でも高く評価され、1983年日本人として初のイタリアンヴォーグ、ドイツヴォーグ、フレンチヴォーグのフリーランススタッフカメラマンとなる。
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エドワード・ウェストン
Edward WESTON
1886年アメリカ、イリノイ州生まれ。1902年、父親からもらったカメラで写真撮影を始める。1911年カリフォルニアのトロピコ(現グランデール)に写真館を開き生計を立てる。1922年ピクトリアリズムから、自然光を巧みに生かした正確でシャープなストレートフォトへと転換し、肖像、静物、ヌード、風景を撮る。
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ウィン・バロック
Wynn BULLOCK
1902年アメリカ生まれ。写真を学ぶため36歳にしてロサンジェルス・アート・センターに入学。森や海などの自然や、その自然の中に幼い少女や女性のヌードを配した写真を多く撮影する。代表作、「森の中の子供」「そこに光あれ」など。1975年、歿。
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アンセル・アダムス
Ansel ADAMS
1902年アメリカ生まれ。幼少の頃から西部の自然と写真に親しみ、14歳のとき初めてカメラを手にしてヨセミテ渓谷を撮影。1932年「f/64」をエドワード・ウェストン、イモージン・カニンガムらと共に結成。中間トーンを最もきれいに再現する技術から生まれたオリジナルプリントは非常に高いクオリティーを持っている。
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ルイス・キャロル
Lewis CARROLL
1832年、イギリス生まれ。数学者、論理学者、写真家、作家、詩人。『不思議の国のアリス』の著者として何より知られる。1880年に唐突に写真術を止めてしまうまでに、約3000枚以上の写真を撮影。これらの写真のうち破損を免れた1000枚足らずが現存しており、その半分以上が少女を撮影したものである。
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レスリー・R・クリムス
Leslie R. KRIMS
1943年アメリカ生まれ(1942年生まれという説もある)。プラット・インスティチュートやロチェスターで写真技術を指導する傍ら、ヌードをテーマに80年代の動向を先取りするような写真を多く制作する。クリムスは奇妙で不思議なテーマを選び、誇張されたイメージと組み合わせることで、時にグロテスクでブラックユーモアに満ちた、見る者を不快にさせる作品を展開する。
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ジェリー・N・ユルズマン
Jerry N. UELSMANN
1934年アメリカ生まれ。ロチェスター工科大学、インディアナ大学で学んだ後、フロリダ大学で写真を教える。複数のイメージを暗室作業の過程で自由自在に組み合わせる技法を用いてシュールな作品世界を作ってきたユルズマンは、「作られた写真」を現代に甦らせた先駆者の一人である。
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中島秀雄
Hideo NAKAJIMA
1947年神奈川県生まれ。1968年東京写真大学(現・東京工芸大学)卒業。写真家細江英公の助手を経て1977年独立しフリーとなる。1986年アメリカ・バーモント州
"ゾーンⅥワークショップ" に参加。1995年"ゾーンシステム研究会" を設立・代表。
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今 道子
Michiko KON 1955年神奈川県鎌倉市生まれ。1978年、創形美術学校版画科卒業後、東京写真専門学校を中退。魚や野菜や衣類をつかい、「いなだの頭と桃と上皿天秤」「烏賊の内臓と眼球と生イクラ」「こはだのブラジャー」などを撮影する。
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安齊重男
Shigeo ANZAI
1939年神奈川県厚木に生まれる。1960年代末頃から、美術展や美術作品を記録として写真に撮り始め、以後、国内外のアート・フェスティヴァルやアーティストのパフォーマンスの記録など、精力的に活動している。
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クリス・ジョンソン
Chris JOHNSON
1948年ニューヨークのブルックリン生まれ。アンセル・アダムス、イモージン・カニンガム、ウィン・バロックに写真を学び、ゾーンシステムの研究書である「Practical
Zone System」の著者として知られている。
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アレン・ダットン
Allen A. DUTTON
1922年アリゾナ州フェニックス生まれ。アリゾナ州立大学を卒業して高校の美術教師となる。画家と彫刻家として修練をしていく中で、彼は、自分の表現の手段として写真が適していることに気付き、写真家に転向。
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フレッド・シール
Fred SCHIIEL
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ジル・ペラン
Gilles PERRIN
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植田実
Makoto UYEDA
1935年東京都生まれ。早稲田大学文学部卒業。編集者。「建築」編集を経て、1968年に「都市住宅」創刊編集長として斬新な雑誌づくりで建築界に新風を巻き起こした。磯崎新、原広司、安藤忠雄、毛綱毅曠、伊東豊雄らの才能をいち早く見つけだし、紹介した功績は大きい。
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デイヴィッド・ホックニー
David HOCKNEY
1937年イギリス生まれ。ブラッドフォード美術学校、王立美術学校で学ぶ。1963年ロンドンで初個展。1964年ロサンゼルスに移り、アクリルで制作を始める。また、インスタントカメラによる撮影を始める。1968年ロンドンに移住、1970年「ジョイナーフォト」を初めて制作。1976年ロサンゼルスに戻る。1980年代から、コピー機やFAXなど新しいメディアを利用した作品を発表する一方、オペラの衣装や舞台装置なども手がけた。1995年ヴェネチア・ビエンナーレに出品。
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松本路子
Michiko MATSUMOTO
静岡県生まれ。法政大学文学部卒。80年代より、ニューヨーク、パリを初めとする、世界各地の、現代を代表するアーティストやダンサーの肖像を中心に作品を発表。数多くの個展、美術館でのグループ展のほか、国内外の美術館に作品が収蔵されている。主な写真集に『ニキ・ド・サンファール』(パルコ出版)、『Portraits 女性アーティストの肖像』(河出書房新社)など。
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大坂寛
Hiroshi OSAKA
1956年山形県寒河江市生まれ、東京で育つ。1981年日本大学芸術学部写真学科卒業。独創的なヌード作品で高い評価を得て、日本写真家協会展グランプリをはじめ、国内外で多数の賞を受賞。東京都写真美術館、ヒューストン美術館などに作品が収蔵されている。個展、グループ展を多数開催。
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菅原一剛
Ichigo SUGAWARA
1960年生まれ。1985年大阪芸術大学芸術学部写真学科卒業。ハヤサキスタジオを経て、1986年フランスにてフリーカメラマンとして活動を始め、1987年菅原一剛事務所を設立。1997年ストロベリーピクチャーズ設立。人物、ヌード、風景、植物など、どれもストレートに捉えながら、本質に迫る力強い作品を発表している。
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尾形一郎 尾形優
Ichiro OGATA ONO
& Yu OGATA
尾形一郎:1960年京都府生まれ。主な写真集に「ウルトラバロック」(新潮社)、「HOUSE」(フォイル)、著書に「極彩色メキシコ巡礼」(晶文社)などがある。2009年フォイルギャラリーで個展を行う。
尾形優:1964年東京都生まれ。1987年早稲田大学理工学部建築学科卒業。一級建築士事務所タイルの家主宰。代表作に「タイルの家」、「フォトハウス」などがある。
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荒木経惟
Nobuyoshi ARAKI
1940年東京都生まれ。1959年千葉大学写真印刷工学科に入学。1963年カメラマンとして電通に入社(72年退社)。1964年写真集「さっちん」にて第1回太陽賞受賞。1981年有限会社アラーキー設立。1988年AaR Room設立。「アラーキー」の愛称とともに多彩な活躍を続け、多数の著作を刊行。海外での評価も高く、90年代以降世界で最も注目を集めるアーティストの一人となる。
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篠山紀信
Kishin SHINOYAMA
1940年東京生まれ。日本大学藝術学部写真学科、および東京綜合写真専門学校を卒業。1961年にライトパブリシティに入社後、APA賞等数々の賞を受賞。写真集『Death
Valley』『Twins』『Nude』など従来の枠を超える意欲的な作品を発表。1975年に雑誌『GORO』で始めた「激写」シリーズは流行語にもなり、1980年には篠山をメインにした写真雑誌『写楽』が創刊されるなど、一写真家にとどまらない影響力を発揮した。
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山田脩二
Shuji YAMADA
1939年兵庫県生まれ。1970-80年代にかけて、建築写真家(カメラマン)として活躍。造形的な写真を撮り続けるかたわら日本各地を旅して、新旧入りまじった村や街、都市の風景を撮影した写真が、数多くのメディアに取り上げられる。1982年兵庫県淡路島の瓦生産地集落・津井で瓦師(カワラマン)に転身。伝統的ないぶし瓦を現代に活かす作り手として活動しながら、地域に点在する炭焼生産地の現場を訪ね、"焼き"にこだわり続ける。
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福田勝治
Katsuji FUKUDA
1899年山口県生まれ。1926年「第1回日本写真美術展」でイルフォード・ダイヤモンド賞を受賞。1936年『アサヒカメラ』に連載された「カメラ診断」が好評となり、それをまとめた『女の写し方』をはじめとして多くの指南書を出版、広告写真でも活躍する。戦後、女性美を追求したヌード作品を発表し、日本写真界をリードする存在となる。そのなかの「光りの貝殻(1949)」は福田の代表作となる。リアリズム写真運動が写真界を席巻する中でも、自分のスタイルを崩すことなく、孤高をつらぬく。
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大竹昭子
Akiko OTAKE
1950年東京都生まれ。上智大学文学部卒。作家。1979年から81年までニューヨークに滞在し、執筆活動に入る。『眼の狩人』(新潮社、ちくま文庫)では戦後の代表的な写真家たちの肖像を強靭な筆力で描き絶賛される。著書は他に『アスファルトの犬』(住まいの図書館出版局)、『図鑑少年』(小学館)、『きみのいる生活』(文藝春秋)など多数。都市に息づくストーリーを現実/非現実を超えたタッチで描きあげる。
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山田陽
Akira YAMADA
神奈川県川崎市に生まれる。文化服装学院でファッションデザインを学ぶ。1998年渡米。2004年その創造的な関心は「写真」に向けられた。ポートレートやルックブック(スタイル見本)を撮影し、ファッション会社と仕事をする。ファッションやデザインをあらためて学んだことで、どんなものにも美しさを見出し、洗練されたイメージを創り出すようになる。記録や探検、そして、他の文化からインスピレーションを得るために世界を旅する。現在、ニューヨークを拠点に活動。2010年、長野県軽井沢で個展「LINE1_Lily
Grass.」を開催。
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細江賢治
Kenji HOSOE 1963年東京都生まれ。東京工芸大学短期大学部写真技術科卒、東京工芸大学大学院芸術学研究科博士教育課程修了。
1981年より父・細江英公に師事し多くの展覧会・コレクション用作品等のプラチナおよびゼラチン・シルバープリントのプリント等を担当する。国内外で展覧会多数。
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E.J.ベロック
Ernest James BELLOCQ
1873年生まれ。ベロックの手によるものとして知られる現存の写真は、すべてニューオリンズの紅燈街「ストーリーヴィル」の娼館で撮られており、そこで働く女性たちが被写体として登場している。おおむねの女性たちは、やわらかな太陽光の差しこむ場所にいて、着衣でもヌードでも、こわばりを解いたゆったりとした時間のなかにあるように見える。こうした、男性が撮したように思えない極めてニュートラルなエロスが現在でも人々を魅了している。
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土門拳
Ken DOMON
1909年山形県酒田市に生まれる。リアリズム写真を確立した写真界の巨匠。ライフワークであった「古寺巡礼」は土門の最高傑作とされ、ほか数多くの作品をのこし、いずれも不朽の名作群として名高い。土門拳の芸術は、日本の美、日本人の心を写し切ったところにあるといわれ、その業績に対する評価はきわめて高い。1990年、歿。
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風間健介
Kensuke KAZAMA
1960年三重県生まれ。20代のときにカメラとともに日本を放浪した後、北海道に移住。2005年に出版した写真集『夕張』(寿郎社)によって、2006年日本写真協会新人賞、写真の会賞を受賞。2017年6月死去。
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金子典子
Noriko KANEKO
1970年群馬県生まれ。 1993年プロラボ ラボテイクに入社、1995年からプリント担当になる。 2000年よりプリントワークショップ開催。
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林和美
Kazumi HAYASHI
写真家、ギャラリー「NADAR」主宰。日本図書設計家協会会員。三重県生まれ。大阪芸術大学芸術学部写真学科卒業後、広告代理店、フォトエィジェンシー勤務を経て、2000年大阪に写真専門ギャラリーNADARをオープン、2003年には東京にも開廊、自ら「装幀写真家」として小説のカバーなどに作品を提供している。
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内藤さゆり
Sayuri NAITO
1978年広島県生まれ。2001年より、フリーランスの写真家として活動開始。 2005年コニカミノルタ主催フォトプレミオに入選。 2009年、ポルトガル・リスボンの日常の風景を中心とした写真集『4月25日橋』を発表。同年、パリ日本文化会館と東京都写真美術館
『日本の新進作家展 Vol.8 旅』にて『4月25日橋』の展示をした。
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北井一夫
Kazuo KITAI
1944年中国鞍山生まれ 1965年日本大学芸術学部写真学科中退、写真集『抵抗』(未来社)を出版。成田空港建設に反対する農民を撮った『三里塚』(のら社)で日本写真協会新人賞受賞(1972年)。『アサヒカメラ』に連載した「村へ」で第1回木村伊兵衛賞受賞(1976年)。
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中藤毅彦
Takehiko NAKAFUJI
1970年東京生まれ。早稲田大学第一文学部中退 東京ビジュアルアーツ写真学科卒業。モノクロームの都市スナップショットを中心に作品を発表し続けている。国内の他、近年は東欧、ロシア、キューバなど旧社会主義諸国を中心に世界各地を取材。
作家活動とともに、四谷三丁目にてギャラリー・ニエプスを運営。
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ウーゴ・ムラス
Ugo MULAS
1928年イタリア生まれ。 1954年頃に写真に興味を抱き、世界中から集まる作家を撮るためにヴェネツィア・ビエンナーレに通う。それが認められ1972年まで同ビエンナーレの公式カメラマンを努める。1964年、65年、67年にニューヨークに渡り、デュシャンやステラ、ウォーホルの写真をアトリエで撮影。彼らの制作する姿を写した写真は、現代美術が生み出されて行く瞬間を捉えた貴重な記録写真でもある。
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エドゥアール・ブーバ
Edouard BOUBAT
1923年フランス生まれ。 1946年から写真を撮り始め、後にthe agency Raphoで働く。パリで生まれ、パリで暮らし、戦後のパリを撮り続けた。アンリ・カルティエ=ブレッソン、
ロベール・ドアノーらとともに20世紀を代表する フランスの写真家の一人として数えられている。 1999年、歿。
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リチャード・アヴェドン
Richard AVEDON
1923年アメリカ生まれ。 1940年代前半、アレクセイ・ブロドヴィッチ主催のデザインラボラトリーで写真を学ぶ。 その後、彼の推薦で1946~65年までハーパース・バザー誌のスタッフ写真家として活躍。ファッション写真家として、またドキュメント写真家としても認められる。
1966~88年までヴォーグ誌へ移籍し、1992年からはニューヨーカー誌のスタッフ写真家として活躍。
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吉川富三
Tomizo YOSHIKAWA
1900年滋賀県生まれ。 1916年静岡市平尾銈二のもとに研究生として入る。1919年、東京写真研究会に入会。1921年、写真店を野島康三より譲り受けて開業。
1930年、鹿児島治朗、木村伊兵衛らと明虹倶楽部を設立。1948年、日本肖像写真作家協会を設立し、その運営にあたる。
1965年、日本写真協会より功労賞を受ける。1966年、東京写真研究会会長となる。
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ジョージ・タイス
George TICE
1938年アメリカ生まれ。 14歳からカメラクラブに参加し写真を撮り始める。1959年、ニューヨーク近代美術館の写真部門でディレクターを務めていたエドワード・スタイケンにより、航空母艦ワスプ爆発の様子を写した作品を同美術館コレクションに選ばれる。
国内外で展覧会多数。作品はニューヨーク近代美術館・シカゴ美術館などに収蔵されている。
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ベッティナ・ランス
Bettina RHEIMS
1952年フランス生まれ。1978年、雑誌『エゴイスト』の創始者ビシニャックにその挑発的でエレガンスなイメージが評価され、同誌でデビュー。ポートレート、ヌードを中心に作品を発表し、1982年パリ・ポンピドーセンターで初個展を開催。以後、ヴォーグ、マリークレール、フィガロなどのファッション誌で活躍するとともに、ビデオやコマーシャルフィルムも制作していく。
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カート・マーカス
Kurt MARKUS
1947年アメリカ・モンタナ州に生まれる。ポートレート、音楽、スポーツ、報道(ルポルタージュ)、ファッション、広告など幅広いジャンルでの写真において自分の美意識を表現し続けている。
近年では、ミュージックビデオの制作や映画「Deep Six」の脚本を執筆し、この作品はロサンゼルス・シネマ賞勲章賞とロサンゼルス・ムービー賞特別賞を受賞した。
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ウェイン・メイザー
Wayne MASER
1946年アメリカ・ペンシルベニア州に生まれる。『GUESS(ゲス)』のファッション・キャンペーン写真で世間の注目を集める。その後ファッション界の巨匠ヴェルサーチ、カルバン・クライン、ドナ・キャランなどのキャンペーン広告を次々と手掛け、彼のファッション・イメージが売上げ向上に大きく貢献する。
メイザーの写真は時に暴力的でさえあり、大胆且つセクシュアルな緊張感を持った表現方法はコマーシャルフォト界のトレンドに影響を与えた。
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小林紀晴
Kisei KOBAYASHI
1968年長野県生まれ。新聞社カメラマンを経て、1991年よりフリーランスフォトグラファーとして独立。1997年に「ASIAN JAPANES」でデビュー。1997年「DAYS
ASIA」で日本写真協会新人賞受賞。現在、雑誌、広告、TVCF、小説執筆などボーダレスに活動中。写真集に、「homeland」、「Days New
york」、「SUWA」、「はなはねに」などがある。他に、「ASIA ROAD」、「写真学生」、「父の感触」、「十七歳」など著書多数。
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ラルフ・スタイナー
Ralph STEINER
1899年アメリカ生まれ。1920年代以後、主として広告写真の分野で活動。その作風は、ストレートフォトグラフィを基調とし、「物」を極めて冷徹なまなざしで捉えるノイエザッハリッヒカイトの影響を強く受けている。FSAプロジェクト開始前に、RA(再入植庁または再定住局)におけるドキュメンタリー映画製作にもかかわる(1930年代)。また、映画部門が廃止される前のフォト・リーグにも一時参加し、映画製作を行う。
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アンリ・カルティエ=ブレッソン
Henri CARTIER-BRESSON
1908年フランス生まれ。1930年頃1931年から翌年にかけアフリカ滞在中に写真を撮り始め、小型カメラ「ライカ」で撮影したスナップショットが注目される。1947年にR・キャパ、D・シーモアらと写真家集団マグナム・フォトを結成し、世界各地を取材。1952年に初の写真集を出版し、そのアメリカ版の表題『決定的瞬間(The Decisive Moment)』は、カルティエ=ブレッソンの写真の代名詞として知られる。
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ヘレン・レヴィット
Helen LEVITT
1913年アメリカ生まれ。ウォーカー・エバンスに写真を学ぶと共に、アンリ・カルティエ=ブレッソンのスタイルに多大な影響を受けている。1937年にニューヨークの子供達のドキュメンタリー写真を撮り始める。ハーレムを含む、ニューヨークの街角や子供の様子などを盛んに撮影したその視線は、自分が生まれ育った町への愛情あふれるものである。『タイム』、『ニューヨークポスト』などで活躍するとともに、 1943年にはニューヨーク近代美術館で個展を開催。
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アーロン・シスキンド
Aaron SISKIND
1903年アメリカ生まれ。1932年から1935年にかけてニューヨークのドキュメンタリー・フォトの写真家グループ「フォト・リーグ」に所属。1943年以降、抽象性の高い表現へと転換する。「普通のもの、注目されないもの、意味のないもの」を題材にして撮影するようになる。 事物をクローズアップすることで物質の細かな質感までが表現され、そのモノクロ作品は抽象画のような美しさを持つ。
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オリビア・パーカー
Olivia PARKER
1941年アメリカに生まれる。1963年ウェルズリー・カレッジ卒業。その後画家としてのキャリアをスタートし、1970年に写真を始める。写真はほとんど独学で、オランダ、フランドル、スペインの17世紀の伝統的スタイルに影響を受けている。作品には破れた花びらや豪華だが不完全なフルーツ、異常な昆虫などを撮った静物写真が主である。作品はシルバー・コンタクト・プリントやポラロイド、現在に至ってはデジタルまで、様々なフォーマットで制作している。
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村越としや
Toshiya MURAKOSHI
1980年福島県生まれ。日本写真芸術専門学校卒業、写真活動をはじめる。一貫して生まれ育った福島の風景をモノクロで撮り続けている。2011年日本写真協会賞新人賞を受賞。2009年自主ギャラリーTAPを開設、定期的に作品を発表しながら写真集を上梓する。2012年写真集出版レーベルplump
WorM factoryを設立。
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佐藤理
Osamu SATO
東京生まれ。1964年私立東京写真短期大学卒業。1971年から「山人」の撮影を始める。1979年佐藤理スタジオを設立。2004年日本写真家ユニオン主催の「ニューヨーク展」に出品。2005~6年東京都写真美術館で開催の「日本の子供60年」展に出品。2006年日本写真家ユニオン主催「11人のフォトグラファーによるファインプリント展」(ギャラリー新居 東京店)に出品、以後毎回出品。
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百瀬恒彦
Tsunehiko MOMOSE
1947年長野県生まれ。武蔵野美術大学商業デザイン科卒。在学中から、数年間にわたってヨーロッパや中近東、アメリカ大陸を旅行。卒業後、フリーランスの写真家として個人で世界各地を旅行、風景より人間、生活に重きを置いた写真を撮り続ける。国内外を問わず多数の写真展を開催。
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鬼海弘雄
Hiroh KIKAI
写真家。1945年山形県寒河江市生まれ。法政大学文学部哲学科卒業。
山形県職員を辞して、トラック運転手、造船所工員、遠洋マグロ漁船乗組員など様々な職業を経て写真家に。1973年より浅草寺で人物写真を撮りはじめる。APA賞特選、日本写真協会新人賞、伊奈信男賞、「写真の会」賞を受賞。写真集としては『INDIA』(みすず書房)『東京迷路』(小学館)ほか。また、2004年には写真集「PERSONA」で第23回土門拳賞を受賞した。
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ボブ・ウィロビー
Bob WILLOUGHBY
1927年アメリカ・ロサンゼルスで生まれる。12歳のときに父からもらったカメラで写真を撮り始める。高校卒業後、ハリウッドのカメラマンたちの助手として修業し、かたわらジャズを対象に写真修業をした。南カリフォルニア大学の夜間部で写真を学び、専門学校でデザインを学習。やがて演劇や文化イベントを手がけるようになり、雑誌のために映画関連の撮影が増えた。オードリー・ヘプバーン出演作のほか、「地上より永遠に」「スタア誕生」「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」「卒業」など30年あまりの間に120本ほどの映画でスチル写真を撮り、『ライフ』『ヴォーグ』など世界的な雑誌に提供している。写真集として、『プラチナの時代』(1974)、『ロサンゼルスのジャズ』(1990)、『ハリウッド・スペシャル』(1993)などがある。彼の写真は、数多くの国の美術館に展示されている。2009年12月フランス・ヴァンスに永逝(享年82)。
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西村多美子
Tamiko NISHIMURA
1948年東京に生まれる。東京写真専門学院(現東京ビジュアルアーツ)で写真を学ぶ。学生時代の1968年頃アングラ劇団「状況劇場」の写真を撮る。初めての撮影は「由比正雪」で、唐十郎や麿赤児、四谷シモンなどの怪優たちに目を見張ったという。卒業前に、復帰前の沖縄へ初めての一人旅へ出る。1969年卒業後はアルバイトや雑誌の仕事を行ない、原稿料が入るとカメラを持って旅に出掛けた。撮影地は圧倒的に北海道と東北が多いが、関東、北陸、関西と広範囲にもおよんでいる。1990年代からはヨーロッパ、キューバ、ベトナムなど海外を撮影している。
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奈良原一高
Ikko NARAHARA
1931年福岡県生まれ。本姓は楢原。中央大学法学部卒業後、早稲田大学大学院で美術史を専攻。前衛美術に傾倒し、1955年には池田満寿夫、靉嘔らが結成したグループ「実在者」に参加。在学中の1956年に、初個展「人間の土地」を開催し、ほぼ無名の新人の個展としては例外的な反響を呼び、鮮やかなデビューを飾った。それに続き、1958年には極限状況を生きる人間にフォーカスを当てた「王国」を発表、日本写真批評家協会賞新人賞受賞。1959年東松照明・細江英公・川田喜久治・佐藤明・丹野章と、写真家によるセルフ・エージェンシー「VIVO」を結成(1961年解散)。その後滞欧し、帰国後に出版した複数の写真集はいずれも賞を受賞し、2002年パリ写真美術館で、2004年には東京都写真美術館で回顧展が開催されるなど、国内外で高く評価されている。2005年日本写真協会賞功労賞受賞。
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浅田政志
Masashi ASADA
1979年三重県生まれ。日本写真映像専門学校(大阪)在学中に「浅田家」シリーズを撮り始める。2003年上京、スタジオフォボス勤務を経て、07年に写真家として独立。08年、写真集『浅田家』(赤々舎)を刊行し、第34回木村伊兵衛写真賞を受賞。最近では全国の他の家族を撮影するシリーズ「みんな家族」も開始。主な個展に、「浅田家~あなたもシャッター押してみて」(08年、PARCO渋谷店、名古屋店)、「浅田家~赤々・赤ちゃん)(08年、AKAAKA)などがある。
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楢橋朝子
Asako NARAHASHI
1959年東京生まれ。早稲田大学第二文学部美術専攻卒業。 1986年森山大道のワークショップに参加する。1989年初個展「春は曙」を開催。1990年ギャラリー03 FOTOSをオープン。 主な個展:1992年~1997年まで03 FOTOSで個展「NU・E」を17回にわたって開催。2005年「half awake and half asleep in the water」(ツァイトフォトサロン、東京)、2008年「half awake and half asleep in the water」(Yossi Milo Gallery、ニューヨーク)(Galerie Priska Pasquer、ケルン)、2009年「楢橋朝子写真展 2009/1989―近づいては遠ざかる」(東京アートミュージアム、東京)、2012年「in the plural」(ツァイトフォトサロン、東京)。
その他、国内外で多数開催。
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小栗昌子
Masako OGURI
1972年愛知県に生まれる。1994年名古屋ビジュアルアーツを卒業。1999年遠野に移住する。
主な受賞歴:日本写真協会新人賞(2006年)、林忠彦賞(2010年)
主な個展歴:「百年のひまわり」(2005年/ビジュアルアーツギャラリー東京・名古屋・大阪・九州)、「トオヌップ」(2008年/ニコンサロン銀座・大阪、ビジュアルアーツギャラリー名古屋)、「トオヌップ」(2009年/ギャラリー冬青)、第19回林忠彦賞受賞写真展「トオヌップ」(2010年)、「フサバンバの山」(2011年/ギャラリー冬青)
主な写真集:『百年のひまわり』(2005年/ビジュアルアーツ)、『トオヌップ』(2009年/冬青社)
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普後均
Hitoshi FUGO
1947年生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業後、細江英公に師事。1973年に独立。2010年伊奈信男賞受賞。国内、海外での個展、グループ展多数。主な作品に「遊泳」「暗転」「飛ぶフライパン」「ゲームオーバー」「見る人」「KAMI/解体」「ON THE CIRCLE」(様々な写真的要素、メタファーなどを駆使しながら65点のイメージをモノクロで展開し、普後個人の世界を表現したシリーズ)他がある。
主な写真集:「FLYING FRYING PAN」(写像工房)、「ON THE CIRCLE」(赤々舎)池澤夏樹との共著に「やがてヒトに与えられた時が満ちて.......」他。パブリックコレクション:東京都写真美術館、北海道立釧路芸術館、京都近代美術館、フランス国立図書館、他。
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平嶋彰彦
HIRASHIMA Akihiko
1969年毎日新聞社入社し、主に『毎日グラフ』『サンデー毎日』など週刊誌の写真取材を担当。共著『昭和二十年東京地図』(文・西井一夫、写真・平嶋彰彦、1986、筑摩書房)他。1988年世田谷美術館にて「平嶋彰彦写真展 たたずむ町」。
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金坂健二
Kenji KANESAKA
映画作家、評論家、写真家。1934年東京都生まれ。1957年慶応義塾大学文学部英米文学科卒業。松竹映画国際部に社長(城戸四郎)付きの通訳として籍を置き、ハーバード大学の国際セミナーに参加するうちに米国のアングラ映画作家と知り合い、松竹を休職中にフルブライト基金を受けて渡米、ノースウェスタン大学に1年間留学。
映画『アメリカ、アメリカ、アメリカ』を完成して学校を離れ、日本に帰国後、1966年に映画『ホップスコッチ』を完成。1964年、飯村隆彦、石崎浩一郎、大林宣彦、高林陽一、佐藤重臣、ドナルド・リチー、足立正生らと実験映画製作上映グループ「フィルム・アンデパンダン」を結成した。1999年永逝。
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ウィージー
WEEGEE
1899年オーストリアのズロチエフ(現ポーランド領)生まれ。1935年にフリーランスとなり、ニューヨーク市警マンハッタン本部を足掛りに殺人現場や交通事故、火事場の救出作業等を大型フラッシュで撮影、数々の新聞に掲載される。
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