ときの忘れもの 今月のお勧め
■2010年04月30日(金)  井村一巴「fluid 1」
nicky_20100430.jpg 394×600 104K井村一巴
「fluid 1」
2008年
ゼラチンシルバープリントにピン・スクラッチ
59.0×39.0cm
Ed.1
サインあり

今週のお勧めは井村一巴の作品です。井村の作品はたしかに写真なのですが、よく見ると画面のそこここに淡く白い線や点が無数に刻まれて、煙のような絵が描かれています。

ときの忘れものでの2007年の個展で初めて「Photograph with pin scratchings」と自ら名づけたこの技法の作品を発表します。

個展の折に岡部万穂によって執筆された批評がこの技法の誕生を簡潔に紹介しています。
[以下、岡部執筆の「井村一巴〈セルフポートレイト展〉――“主観”を超えて」から引用]

[略]
井村は黒いバックの前に佇むモノクロのポートレイトを撮影している。
撮影は、両親が運営する小さなギャラリーのスペースを借り、深夜、夜通し行なわれる。黒い布の前に一人たたずみ、さまざまなポーズを取ってみる。正面から、斜めから、頬杖をつき、椅子に座り、椅子の上に不自然な姿勢でしゃがみこみ――一晩で、36枚撮のフィルム5〜6本をあっという間に使い切り、夜通し撮りつづけた翌日は筋肉痛に悩まされるという。井村にとってポートレイトとは、身体を張ったパフォーマンスでもある。表現ではなく、主観を超えて、進んでいくための。
そして井村は、モノクロのセルフポートレイトの表面を、買った洋服の値札を止めている小さな安全ピンの先で削り、絵を描きはじめた。
柔らかな光沢を持つ印画紙の表面は、針の先で削られてめくれ、支持体の紙が覗いて、かぼそくも白く鋭い線となる。ポートレイトに絡みつくように描かれたそれらは、植物のつるのようであったり、背景一面に降り注ぐ雨であったり、背中に生える翼であったり、頭の上にチョコンとかぶせられたティアラであったりする。楽しげに描かれたこれらの絵は、ただひたすらにかいわらしく、やさしい。(以下、略)

井村一巴 Kazha IMURA(1980-)
1980年生まれ。16歳で写真を撮り始め、17歳のときに自分の写真や文章を発表するため、“paper”という雑誌スタイルのカラーコピーによる手作りのメディアを発行。現在15号を刊行している。2002年、第5回「寿限無-cloning-」展(小山登美夫ギャラリー)に出展。2004年「寿限無2004 -Super Multiple Art Project-」展(現代美術製作所)に出展。同年、ときの忘れもので初個展[井村一巴セルフポートレイト展]を開催。

■2010年04月20日(火)  ロバート・メイプルソープ "America"リトグラフ3点組
grp0421173721.jpg 370×1430 67Kロバート・メイプルソープ
"America"リトグラフ3点組
各:
1988年
リトグラフ
75.5×63.5cm
スタンプサイン

この作品は、ロバート・メイプルソープが1988年に撮影した写真をもとに制作された3点組のリトグラフです。試刷りにOKを出してサインをしたものの、その後病状が悪化し、メイプルソープが亡くなる2ヶ月前、1989年の1月4日に彼の面前でスタンプサインが押されたというものです。リトグラフですが、イメージはひじょうに精細で、単色のバックは、その中のモノクロの被写体が浮き上がってくるような効果をあげていて、スタイリッシュな作品になっています。

メイプルソープは、いろいろな意味で逸話の多い写真家です。「伝説」とも言えるかもしれません。富豪のサム・ワグスタッフに見出されて写真家としてデビューを飾り(この辺りのいきさつは昨年公開されたドキュメンタリー映画「メイプルソープとコレクター」で知ることができます)、歌手のパティ・スミスと同棲しながら、ゲイであることを隠すことなく、片や厳格な構図で静謐な静物やヌードの写真を撮るかと思えば、同性愛やSMの性向をあからさまに写した作品を発表するなど、毀誉褒貶相半ばする作家でした。しかし、彼の作品がアートシーンに与えた影響は大きく、現在も高い評価を受けています。
昨年、フィレンツェのアカデミア美術館で、メイプルソープの展覧会が開催されたのは画期的な出来事と言ってよいと思います。日本では、彼の写真集のわいせつ性を争う裁判が起きるなど、まだ生々しい事件がありますが、今後、「伝説」が消えた後、遺された作品の評価はますます高くなることでしょう。

ロバート・メイプルソープ Robert MAPPLETHORPE(1946-1989)
1946年ニューヨーク市に生まれる。16歳の時にブルックリンに転居しプラット・インスティチュートで絵画、彫刻を学ぶ。1967年に詩人で歌手のパティ・スミスと知り合い共同生活を開始。 この頃からポルノ雑誌を切り取ってコラージュの制作を開始したり立体、インスタレーションなどに取り組む。写真はポラロイドから始め、パティ・スミスなどの仲間を モデルにしたり、身の回りの静物を使い、構成、色彩、照明、サイズ、フォーマットなどの試行錯誤を行う。1976年にハッセルブラッドカメラを入手し、ネガフィルムによる作品制作を開始。1978年ミッドタウンの有名画廊ロバートミラーでパティ・スミスのポートレートを展示し、同画廊の専属となる。
メイプルソープは「静物(主に花)」「ポートレート」「ヌード」「セックス」の4つのテーマを主軸に制作を行った。
作品は性の解放や同性愛者の社会的権利など、当時の時代背景や社会問題と切り離せない関係にあるが、特に率直な官能表現の作品などは大いなる絶賛とバッシングの両方を受けることとなった。一枚の写真から構成や色彩、ライティング、サイズ、フレームなど細部に至るまで計算して被写体および構図の中にバランスと完璧さを求めた。1980年代に入ると名声は高まり、各界の有名人、著名人からポー トレート写真の依頼が寄せられるようになる。商業雑誌やイブ・サンローランなどの広告の仕事も行なうようにる。作品制作ではコマーシャルがきっかけでカラー写真にも取り組みはじめ、 1985年以降は多種多様な表現方法を模索し、麻にプラチナプリント、絹 にグラビア・プリントなどを開始しる。1989年、歿。

■2010年04月10日(土)  菅原一剛「Naked Passion #49」
nicky_20100410.jpg 402×600 121K菅原一剛
「Naked Passion #49」
1989年(1995年プリント)
ゼラチンシルバープリント
27.0×18.1cm
Ed.25
サインあり

今週は、4月13日から始まります「The NUDE」展より、菅原一剛「Naked Pssion #49」をご紹介します。
多彩な作品を発表している作家ですが、この「Naked Passion」のシリーズも、複数のプリントを使ってひとつのイメージを見せたり、モデルに映像を投影して撮影するなどいろいろな試みをしています。この作品も、モデルの周囲がぼうっと明るく浮揚感を感じさせるようにプリントされています。

菅原一剛 Ichigo SUGAWARA(1960-)1960年神奈川県生まれ。1985年大阪芸術大学芸術学部写真学科卒業。ハヤサキスタジオを経て、1986年フランスにてフリーカメラマンとして活動を始め、1987年菅原一剛事務所を設立。1997年ストロベリーピクチャーズ設立。人物、ヌード、風景、植物など、どれもストレートに捉えながら、本質に迫る力強い作品を発表している。

過去の記事 2004年06月 07月 08月 09月 10月 11月 12月 
2005年01月 02月 03月 04月 05月 06月 07月 08月 12月 
2006年01月 03月 
2009年02月 03月 05月 06月 11月 12月 
2010年01月 02月 03月 04月 05月 06月 07月 08月 09月 10月 11月 12月 
2011年01月 02月 04月 05月 06月 07月 08月 09月 10月 11月 12月 
2012年01月 02月 03月 04月 05月 06月 07月 
2013年02月 03月 04月 05月 06月 07月 
2014年04月 05月 06月 07月 08月 
2016年10月 11月 

一覧 / 検索