■2012年06月10日(日)
田中敦子「青、赤、緑の丸と小さな丸たち」
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| 田中敦子 「青、赤、緑の丸と小さな丸たち」 シルクスクリーン 14.7×10.0cm Ed.100 サインあり
吉原治良、白髪一雄、元永定正たちの具体がヨーロッパで高い評価を得て、あれよあれよという間に価格が高騰したのはご存知の通りですが、田中敦子展も国際交流基金、イギリスのアイコンギャラリー、スペインのカスティジョン現代美術センターとの共同企画によるもので、海外での高い評価を反映した展覧会です。 1950年代にはまだパフォーマンスやインスタレーションといった表現が新奇の眼で見られるだけで、つまり話題にはなるが美術作品としての評価はなかなかされにくい時代でした。 20個のベルが順に鳴り響く「作品(ベル 1955年)」や、9色の合成エナメル塗料で塗り分けられた管球約100個と電球約80個からなる「電気服(1956年)」など、パフォーマンスやインスタレーションをとりいれた表現は記録の中でしか知ることができませんでしたが、それらの再制作作品を含む今回の展示はようやく時代が田中敦子に追いつき、理解を始めた現われと言っていいでしょう。 田中は電気服の電球と配線に対応する円と線から成り立ったおびただしいヴァリエーションの絵画群を生涯描き続けましたが、今回ご紹介する版画作品もそのひとつです。
■田中敦子 Atsuko TANAKA(1932-2005) 日本の画家。大阪府出身。京都市立美術大学(現在の京都市立芸術大学)中退。1953年から1955年頃は、布に数字を書き、一旦裁断し再びつないだ作品を作る。主に抽象画を描き、1955年に吉原治良が主導する具体美術協会に入会し、同協会の主要メンバーになる。サンケイホールなどで開催された『舞台における具体美術』展で、カラフルな電球と管球が明滅し光の服に見立てた「電気服」(高松市美術館が再制作品を所蔵)を着るパフォーマンスを行った事で知られる。 絵画作品は、「電気服」などのオブジェと同様、色彩豊かな円と曲線が絡み合う前衛的作風で知られ、国際的にも高い評価を得ていた。1965年具体美術協会を退会する。2001年芦屋市立美術博物館と静岡県立美術館でそれぞれ大規模な個展を開き、絵画とオブジェで独特の精神世界を表現した。この巡回展では国際的な再評価の声も高く、草間弥生、オノヨーコに並ぶ偉才と評された。 奈良県明日香村のアトリエで絵画の制作を続けてギャラリー HAM等で発表をしていたが、2005年12月3日肺炎のため、奈良市の病院で死去した。73歳。 | | |