■2011年08月10日(水)
福田勝治〈イタリア紀行〉より「オスティア」
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| 福田勝治 〈イタリア紀行〉より 「オスティア」 1955年 ゼラチンシルバープリント 24.5×19.0cm 裏面に遺族のサインあり
今週のお勧めは、福田勝治の〈イタリア紀行〉シリーズからご紹介します。 福田勝治は1955年キャノン・コンテストに一般公募した作品《修道尼と船》が推薦となり、ヨーロッパ旅行に招待されました。同年9月16日に出発し、ミラノからナポリまで10月22日に帰国するまでの45日間、精力的に取材し、5,000枚を撮影したと本人が書いています。 「わずか四十日余のイタリアの旅であったが、私にとっては、この期間中ほど楽しい、美しい思い出をのこしてくれたものはなかった。(中略) ゲーテが、若い修行時代を、スタンダールがその青春を、イタリアに魅せられて旅をしたという気持ちの実感を、私までもが想像することができたし、先人たちの残してくれた芸術というものの偉大さが日々よみがえり、新たに生きている事実を知った。(中略) 私はヨーロッパの国々をスナップして歩くよりも、イタリアだけの、そして名も知られてない都、町々、村々の数知れない多くの美しさを喜びに満ちて撮って来たのである。(後略)」『カメラ毎日1956年1月号』(毎日新聞社)
翌1956年に、この成果を発表する「イタリア写真展」を6月に日本橋高島屋、7月には大阪の大丸で開催し、大好評を得ました。 ときの忘れものが所蔵しております〈イタリア紀行〉のプリントは、この展覧会当時にプリントされたものと思われ、また、1993年にネガはすべて山口県立美術館に寄贈されて、今後プリントされる機会があるとしても非常に限定されるであろうことを考慮すれば、たいへん貴重なものであることは間違いありません。
◆福田勝治 Katsuji FUKUDA(1899-1991) 1899年山口県生まれ。1921年東京で高千穂製作所に勤務しながらヴェス単で写真を撮り始める。関東大震災後、大阪に移る。1926年「第1回日本写真美術展」でイルフォード・ダイヤモンド賞を受賞。翌年、堺市で写真館を開業するもうまく行かず、生活が困窮する中でもバウハウスの影響を受けた構成的な静物写真の作品制作を続ける。1936年『アサヒカメラ』に連載された「カメラ診断」が好評となり、それをまとめた『女の写し方』をはじめとして多くの指南書を出版、広告写真でも活躍する。戦後、女性美を追求したヌード作品を発表し、日本写真界をリードする存在となる。そのなかの「光りの貝殻(1949)」は福田の代表作となる。 リアリズム写真運動が写真界を席巻する中でも、自分のスタイルを崩すことなく、孤高をつらぬく。1955年キャノン・コンテストで推薦を受けてイタリア旅行に招待される。翌年、「イタリア写真展」を開催し大好評を得た。この後、「京都」「銀座」「隅田川」などのシリーズを発表。1950年代末より実験的なカラー写真の制作を始め、1970年には日本橋高島屋で「花の裸婦・福田勝治写真展」が開催された。1991年逝去。享年92。横浜美術館、川崎市市民ミュージアム、東京都写真美術館、山口県立美術館に作品が所蔵。 | | |