ときの忘れもの 今月のお勧め
■2011年12月20日(火)  エルンスト・ハース「三番街での光の反射、ニューヨーク」
nicky_20111220.jpg 591×403 116K「三番街での光の反射、ニューヨーク」
1952年撮影(1993年プリント)
Dye-transfer Print(color)
30.5×45.0cm
Ed.40
作品裏面にEstate Stampあり

画面の中央に、まるで蝶が羽を広げたような形で広がる色の帯。遠景に立ち並ぶ摩天楼をよく見ると、左右対称に反転していて、画面右半分はショーウィンドウの表面に映り込んだ像であることがわかります。ショーウィンドウの上にはためく幕が反射像として増幅され、微妙なグラデーションを帯びた色合いと相まって、幻想的な光景が立ち現れています。
この写真はカラー写真の先駆者として知られるエルンスト・ハース(Ernst Haas, 1921-1986)が、ニューヨークを取材して制作し、グラフ雑誌「ライフ」の1953年9月14日号と9月21日号と2回にわたって掲載された、フォトエッセイ「Images of a Magic City (ある魔法の街のイメージ)」の中の一枚です。「ライフ」は1936年から1972年まで刊行され、フォトジャーナリズムの黄金時代を築いた雑誌として広く知られており、現在はGoogle Booksで、全号を閲覧することができます

「三番街での光の反射」は、フォトエッセイの2回目の終盤に掲載されています。摩天楼の姿を遠景に映し出した写真は、魔法の街を巡る散歩の名残を留め、その締めくくりを飾るのに相応しい一枚ではないでしょうか。

エルンスト・ハース Ernst HAAS(1921-1986)
オーストリア・ウイーン生まれ。大学は医学部に通うが、1947年に雑誌「Heute」誌のカメラマンとなる。第2次大戦のオーストリア捕虜帰還を撮影したフォト・エッセイで名声を上げ、2年間パリで暮らした後、50年にアメリカへ移住。ロバート・キャパの勧めで写真家集団「Magnum Photos」に参加。52年、初めてカラーフイルムを使用し、ライカでニューヨークの街頭風景を撮影。この時の写真は『ライフ』誌に24ページ2部構成で掲載される。ハースはカラー写真でその才能を発揮し、巧みな色彩、ブレ、動きなど多くの手法を用い「エルンスト・ハースの色彩の世界」を確立した。62年、ニューヨーク近代美術館で個展が開催される。64年ジョン・ヒューストンの映画「天地創造」にスタッフとして参加、その後も「ハロー・ドーリー」(1969)「小さな巨人」(1970)などの映画制作に参加した。71年ハースにとって最高傑作となる写真集「THE CREATION」を刊行。75年、アメリカ建国200年の年に写真集「IN AMERICA」を出版。86年Hasselblad(ハッセルブラッド)賞受賞。『ライフ』誌を中心としたフォト・ジャーナリストの他、マールボロ、クライスラー、フォルクスワーゲン等の広告写真家としても活躍した。

■2011年12月10日(土)  ハンス・ベルメール「#VII《ジュリエット 悪徳の栄え》」
nicky_20111210.jpg 466×600 32Kハンス・ベルメール
『道徳小論』より
VII《ジュリエット 悪徳の栄え》

1968年
カラー銅版
27.7x21.2cm
Ed.150
サインあり

若い人たちはベルメールというと先ず球体関節人形、そして写真作品を思い浮かべるようですが、1970年代に美術界に入った世代が出会ったのは先ず版画でした。1961年の銅版画集『サドに』、1965年ジョルジュ・バタイユ『マダム・エドワルダ』の挿画、1968年の銅版画集『道徳小論』などなど。もちろんまだベルメールが存命中でした。
日本への紹介は例えば高級美術雑誌『gq』が特集を組んだのも確か版画作品でした。
戦前の瀧口修造・山中散生らの先駆的紹介をはじめ、1960年代に澁澤龍彦による紹介があったとはいえ、人形や写真がアートとして認知されるのはずっと後になってからでした。
銅版画連作『道徳小論』は作家の代表作であり、人体を変形させたフォルムとそこから立ち上るエロテックなイメージの強烈さは版画コレクターたちを熱狂させました。

ハンス・ベルメール Hans BELLMER(1902-1975)
1902年ポーランド(当時はドイツ領)のカトヴィツェ生まれ。1923年ベルリン工科大学に入学するが、ダダイストのジョージ・グロスらとの交遊が始まり大学を中退。出版社の植字工見習いとして働き始め、小説の表紙や挿絵を手がける。1926年カールスホルストにデザイン事務所を開く。1932年ベルリンにて.ホフマン原作のオペラ『ホフマン物語』を観劇、その中に登場した自動人形オリンピアが彼に影響を与えたといわれる。翌年、最初の人形を制作し、1934年写真集『人形』を自費出版で刊行。パリのシュルレアリストの賞賛を受け、シュルレアリスム機関誌『ミノトール』の表紙を飾る。1935年パリにてシュルレアリスム・グループ展へデッサンを出品。同年、ベルリンのカイザー・フリードリヒ美術館にて展示されていた16世紀のドイツの球体関節を持った木製の人形からインスピレーションを得て球体関節人形を制作。1936年『人形』フランス語版を刊行。ロンドンやニューヨークなど多くのシュルレアリスム展へ出品。
1938年ナチスを逃れパリへ移住。マルセル・デュシャンやマックス・エルンストらと出会う。1939年第二次世界大戦が勃発し、ドイツ国籍のためマックス・エルンストと共に南仏の収容所に抑留される。翌40年解放され南仏カストルにとどまる。1946年ジョルジュ・バタイユの小説『眼球譚』の銅版画による挿画に取りかかり、翌年刊行。1947年パリにてはじめての個展。1949年 ポール・エリュアールの詩とベルメールの写真から成る『人形の遊び』刊 行。1954年女流作家ウニカ・チュルンとパリで同棲生活に入る。1957年著書『イマージュの解剖学』刊行。1958年 ウニカをモデルとした緊縛写真を撮影。1961年銅版画集『サドに』刊行。1965年 ジョルジュ・バタイユ『マダム・エドワルダ』の挿画を手がける。1968年銅版画集『道徳小論』刊行。1971年パリの国立現代美術センター(CNAC)で大規模な回顧展。1975年没。パリ・シカゴ・ジュネーヴにてベルメール展開催。1983年ポンピドゥーセンターにて回顧展開催。

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