■2010年05月10日(月)
眠り続ける磯辺行久コレクション
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| 「マリンタワー」 1968年 スクリーンプリント イメージサイズ:45.2×27.6cm シートサイズ:55.7×43.3cm Ed.70 サインあり
ときの忘れものが瑛九をずっと追いかけていることは皆さんご承知の通りですが、半世紀前に瑛九の周囲に集まった若い作家たちー池田満寿夫、靉嘔、細江英公、河原温、そして磯辺行久ーの今日の評価を思うと、いまさらのように瑛九の魅力と天才を感じます。 中でも磯辺さんは、ワッペンや、古箪笥を使ったオブジェなどを短期間に精力的に発表し、60年代の日本のポップアートの先駆として注目を浴びます。66年渡米、建築や都市計画に関心を移し、アメリカと日本でエコロジカル・プランニングを手掛け、70年代には美術界から全く離れてしまいます。 ちょうどその頃美術界に入った亭主にとっては磯辺さんは既に伝説の人でしたが、なぜか作品だけはたくさんありました(もちろん今も)。 亭主が主宰した現代版画センターは、久保貞次郎先生が主唱し、1960年代に尾崎正教先生たちが活発に繰りひろげたた小コレクター運動の遺産を引き継ぐような形でスタートしたものですから、彼らが支持した瑛九、北川民次、オノサト・トシノブ、池田満寿夫、靉嘔、そして磯辺行久などの作品が、右も左もわからない亭主の周辺にごまんとあふれていたわけです。 磯辺さんはその中でも異色の作家でしたが、1991年目黒区美術館で個展を開催して、再び美術家として制作活動を再開されました。 東京都現代美術館で2007年7月28日(土)〜9月30日に開催された回顧展で磯辺さんの先駆性をあらためて感じたのは亭主ばかりではないでしょう。
先日、倉庫をひっくりかえして磯辺行久さんの作品を探索しました。 その一部をホームページの磯辺行久のコーナーに掲載しましたが、それらは半世紀たった今も古びていません。 1968年に集中して制作された版画は、久保貞次郎先生と尾崎正教先生が版元となり、岡部徳三さんがプリンターとして完成させましたが、いかんせん時代が早すぎた。中には限定10部などというレアなものもありますが、40年以上経ったいまでも新品のままときの忘れものの倉庫に眠っています。
◆磯辺行久 Yukihisa ISOBE(1936-) 1936年東京生まれ。高校時代に、瑛九らのデモクラート美術家協会に入会、リトグラフの制作を始める。59年東京芸術大学絵画科卒業。62年読売アンデパンダン展にワッペンを連ねたレリーフ作品を出品し注目を集める。63年日本国際美術展で優秀賞を受賞。66年渡米、建築や都市計画に関心を移し、アメリカと日本でエコロジカル・プランニングを手掛ける。91年目黒区美術館で個展開催。再び美術家として制作活動を再開した。 | | |