■2013年03月20日(水)
松本竣介「婦人像」
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| 松本竣介 《婦人像》 ※「松本竣介素描」(1977年 株式会社綜合工房)87ページ所収 紙に鉛筆 イメージサイズ:31.6x23.1cm シートサイズ:33.5x23.7cm
去年の年末から今年の年始にかけて開催した松本竣介展、お客さまに「竣介展はうちでは初めてです」というと、「えっ、そうなんですか」と驚かれる。 同世代の瑛九については、毎年展覧会をしているので長い間には竣介展もやったことがあるのではと思われるらしい。 光栄な誤解ではありますが、竣介の展覧会を開くのは実に困難極まりない。 1974年に美術界に入ってから亭主が知る画廊での竣介展(つまり売り物がある)は、南天子画廊、不忍画廊、MORIOKA第一画廊の三つくらいしか思い浮かばない。
松本竣介36歳、瑛九48歳、ともに若死にですが、どこが違うのか。 画商の立場から言うと、一人の画家が市場で評価されるには、流通する作品量がある程度必要です。どんなに優れた作品を遺そうとも、市場に流通する作品がなければ、若い世代のコレクターが出てこない。そういう点から考えると、竣介と瑛九では圧倒的に作品量が違います。
資料無しで書き飛ばしますので、少々荒っぽい数字になります。 亭主の記憶によれば、瑛九の油彩は確認できるだけで約600点、水彩素描はおそらく1000点ではきかないでしょう。版画(銅版、リトグラフ、木版)は約500種類(それぞれ数部から数十部刷っていますので作品総数は数千点になります、詳しくはコチラを参照)。近年評価の高騰しているフォトデッサン・コラージュ類は2000点以上(推定)あると思われます。 ざっと足しただけでも4000点以上、版画の刷り部数を加えればマックス1万点前後の作品が遺されている。 美術館に収まってしまった作品を除いても、市場で瑛九を入手しようと思えばいつでも誰でも可能です。画商が瑛九展を開こうと思えばそう困難なことではない。
しからば竣介はどうか。 遺された油彩は二百数十点といわれています。他には素描作品があるだけですが、それも数は限定されるでしょう。 版画は確認されているのは今回出品している孔版画作品ただ一種類のみ。 それ以外に作品はありません。 市場にめったに出ない作品を集め展覧会を開くの瑛九の何倍、何十倍も難しいことなのです。 過去、竣介展を開催し、作品を世に広めた南天子画廊、不忍画廊、MORIOKA第一画廊の大先輩画商たちに深甚なる敬意を表する所以です。
■松本竣介 Shunsuke MATSUMOTO(1912-1948) 1912年東京に生まれ、岩手で過ごす。聴力を失い、画家を志す。上京し、太平洋画会研究所選科に通う。結婚して松本姓(旧姓・佐藤)となり、アトリエを綜合工房と名付け、妻・禎子と月刊誌『雑記帳』を創刊。43年に靉光や麻生三郎、寺田政明ら同志8名で新人画会を結成(第3回展まで開催)。47年自由美術家協会に参加。1948年、歿。 | | |