■2014年08月20日(水)
ウィージー 《コニー・アイランド、1940年7月28日午後4時》
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| ウィージー 《コニー・アイランド、1940年7月28日午後4時》 1940年(Printed later) Gelatin Silver Print 26.9×34.0cm 裏面にスタンプあり
1940年は記録的な猛暑が続き、ニューヨーカーはどのように乗り切ったのかを撮影するよう依頼されたことから、この写真が生まれました。 この作品は、1945年に発行した写真集『Naked City』の表紙にもなり、ジョージ・マイケルのCDジャケット(1990年)にもなっている代表的な作品のひとつです。 遥か彼方地平線までびっしりと人で埋め尽くされ、ジャンプしている人、大きく手をあげている人、担いでもらっている人など、人々の視線からは、今撮られようとしていることがわかっていることが読み取れます。
■ウィージー WEEGEE(1899-1968) 1899年オーストリアのズロチエフ(現ポーランド領)生まれ。本名ウジェル・H・フェリグ (後にアーサー・フェリグ, 1899-1968)。1910年家族とともにアメリカへ移住。家計を助けるため14歳で学校をやめ、皿洗いや映画館のバイオリニスト、パスポート写真スタジオのアシスタントなどに従事した後、1924年にアクメ・ニューズピクチャーズ(現UPI通信社)の暗室技師として採用。1935年にフリーランスとなり、ニューヨーク市警マンハッタン本部を足掛りに殺人現場や交通事故、火事場の救出作業等を大型フラッシュで撮影し、数々の新聞に掲載される。警察無線を傍受し、愛車のシボレーで事故現場や殺人現場に先回りして数多くのスクープ写真で名を馳せた世界で最も名の知られたタブロイド紙写真家。警官と同時に現場に着くことがあり、警官に「占い(Ouija)板でも持っているのか?」と聞かれたことから Ouija から Weegee という異名が生まれたそうだ。1940年ニューヨークの近代美術館で展覧会を開催し、世に知られるようになり、1945年に出版した『裸の街』で時代の寵児となる。ニューヨークの暗部にシニカルな視線を注ぎ、直截的かつドラマティックな独自のスタイルを確立した。 | | |