ときの忘れもの 今月のお勧め
■2011年01月30日(日)  福田勝治「光りの貝殻(ヌード)」
nicky_20110130.jpg 600×515 28K福田勝治
「光りの貝殻(ヌード)」
1949年
ゼラチンシルバープリント
33.3×40.2cm
サインあり

今週のお勧めは、福田勝治「光りの貝殻(ヌード)」です。
「光の貝殻」は、福田勝治の数多いヌード作品の中でも白眉と言える作品で、1994年に山口県立美術館で開催された「写真家/福田勝治展」のカタログの表紙にも使われています。漆黒の中にモデルの顔に一条の光が差し、体の稜線が光でなだらかなカーブを描く。まさに光の彫刻です。
「真の表現をこころみようとする写真家は、裸体を一つの大理石の石塊として考えなくてはならない。そこで写真は『鑿』のかわりに『カメラ』でそれを表現し、自己の思うままの裸像を築き、穿ち、創らなければならない。」(『色と光の芸術』より、1951年)
山口県立美術館に収められているこの作品のサイズは、40.5x31.9cmと縦長の作品ですが、こちらの作品は、上下が大胆にトリミングされていて、33.3x40.2cmと横長の作品になっています。裏には「月光に照らされて 女の曲線 うねり波うつ」と作家によって書かれていて、あるいは、トリミング後のこの作品のタイトルとしたかったのかもしれません。
福田勝治は、いわゆる商業ギャラリーでの個展はほとんど行っておらず、プリントの流通量がひじょうに限られているため、作家のサインの入ったプリント、特にこの「光りの貝殻」のようなミュージアムピースは、たいへん貴重です。どうぞこの機会にコレクションにお加え下さい。

福田勝治 Katsuji FUKUDA(1899-1991)
1899年山口県生まれ。1921年東京で高千穂製作所に勤務しながらヴェス単で写真を撮り始める。関東大震災後、大阪に移る。1926年「第1回日本写真美術展」でイルフォード・ダイヤモンド賞を受賞。翌年、堺市で写真館を開業するもうまく行かず、生活が困窮する中でもバウハウスの影響を受けた構成的な静物写真の作品制作を続ける。1936年『アサヒカメラ』に連載された「カメラ診断」が好評となり、それをまとめた『女の写し方』をはじめとして多くの指南書を出版、広告写真でも活躍する。戦後、女性美を追求したヌード作品を発表し、日本写真界をリードする存在となる。そのなかの「光りの貝殻(1949)」は福田の代表作となる。
リアリズム写真運動が写真界を席巻する中でも、自分のスタイルを崩すことなく、孤高をつらぬく。1955年キャノン・コンテストで推薦を受けてイタリア旅行に招待される。翌年、「イタリア写真展」を開催し大好評を得た。この後、「京都」「銀座」「隅田川」などのシリーズを発表。1950年代末より実験的なカラー写真の制作を始め、1970年には日本橋高島屋で「花の裸婦・福田勝治写真展」が開催された。1991年逝去。享年92。横浜美術館、川崎市市民ミュージアム、東京都写真美術館、山口県立美術館に作品が所蔵。

■2011年01月20日(木)  アンディ・ウォーホル「屏風」
nicky_20110120.jpg 436×600 95K「屏風」
屏風サイズ:縦152.5×143.0cm

「マリリン」
シルクスクリーン・ポスター
シートサイズ:43.5×43.0cm

「プレイ・ボーイ」
オフセット
シートサイズ:81.0×55.0cm

表具師のKさんは、コレクターとしてもなかなかの目利きですが、それにもまして蒐めた作品を片っ端から軸や屏風に仕立てるというヘンな趣味(というかこれは本業ですね)をもっています。
今回ご紹介するのは、Kさんが仕立てたアンディ・ウォーホルの屏風です。
和風の装飾方法を現代に生かす、つまりマンション空間にも合う屏風をと考えて挑戦した結果です。裏もぜひ楽しんでいただきたいのですが、モダンなセンスが光りますね。

アンディ・ヲーホル Andy WARHOL(1928-1987)
1928年8月6日アメリカ・ピッツバー生まれ。本名“Andrew Warhola”。49年カーネギー工科大学卒業。52年ニューヨーク・ヒューゴー画廊でドローイングによる初個展。56年友人と約6週間で世界一周旅行、日本にも立ち寄る。62年[ファクトリー]を設立。同年8月5日モンローの死に会い[マリリン]を制作。 63年映画の制作を始める。68年ファクトリーで狙撃される。74年10月大丸の大個展のため来日。1987年永逝。

■2011年01月10日(月)  品川工「Denizen of the Lake Depths」
nicky_20110110.jpg 600×437 74K品川工
「Denizen of the Lake Depths」
木版
イメージサイズ:24.0×36.3cm
シートサイズ:41.9×52.5cm
Ed.100
サインあり

品川工先生のお宅に初めてうかがったのはたしか1970年代の末頃でした。
亡くなった練馬のお宅ではなく、王子本町の家の時代です。
不勉強な私は版画家・品川工しか知らずにのこのこ出かけていったのですが、アトリエにところ狭しを並んでいたのはスプーンなど日常の雑器などを使った軽妙なユーモアあふれるオブジェの数々で、驚きました。
兄の力さんはじめ品川一族のことは書き出すときりがないのでやめますが、ペリカン書房・品川力追悼特集はぜひお読みになってください。
品川工先生ご本人にはたくさん作品を扱わせていただき、また従兄弟のKさんが熱心なコレクターで30数年来のお客様だったり、私が編集した『資生堂ギャラリー七十五年史』の編集スタッフに一族のお嬢さんJさんがいたりで、偶然とはいえ、縁の深い作家でした。
一族は皆さん長命で、品川工先生も「生誕100年記念 品川工の版画」を練馬区立美術館で開催されたあと、2009年に逝去されました。

品川工 Takumi SHINAGAWA(1908-2009)
1908年新潟県に生まれる。本名・関野工。東京府立工芸学校金属科(現都立工芸高)卒業。印刷会社に勤める傍ら、1935(昭和10)年から版画家恩地孝四郎に師事し、木版画を学ぶとともに、写真を応用したフォトグラム、光の版画など多彩な版画を制作。1947年日本版画協会、1949年国画会の会員となる。1952年のカリフォルニア美術展をはじめ、各地の国際版画展に出品。版画のほかスプーンなど身近な材料を使ってのモビール、立体など多彩な創作活動をつづけ、常に実験的な新しい造形に挑んだ。

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