1883年アメリカ・オレゴン州ポートランド生まれ。最も有名なアメリカの女性写真家の一人として知られる。後にフォト・セセッションのメンバーになったアメリカの女性写真家ガートルード・ケーゼビア(Gertrude Käsebier)の作品に魅せられて写真の道を志すが、そのためには科学的な知識が必要だという教授の勧めを受けて、シアトルのワシントン大学とその後のドイツ留学では化学を専攻。1910年にシアトルに自身のスタジオを開設したが、1920年には夫である版画家ロイ・パートリッジがオークランドのミルズ・カレッジで教鞭をとるためにスタジオを閉鎖し、カリフォルニアへ引っ越した。この頃は3人の息子の子育てや家事に追われ、彼女の写真は主に息子たちや庭の植物の撮影に制限されていたが、その作風は従来のソフト・フォーカスの写真から、後に〈植物〉シリーズと呼ばれ代表作とされる、ピントの合った植物の近接撮影の写真や、工業地帯の風景や建築物などをユニークな視点でとらえるようになっていき、光と形、そして抽象的なパターンを巧みに扱うカニンガムは、西海岸における現代写真のパイオニアの一人に数えられるようになった。1932年には、アンセル・アダムスやエドワード・ウエストンと共に西海岸でストレートフォトグラフィを標榜したグループf/64の創設メンバーにも名を連ね、1934年には雑誌「ヴァニティ・フェア」からの仕事も受け始めた。この仕事は、同紙が1936年に廃刊になるまで受け続けている。
有名人の率直なポートレート写真、花のクローズアップ写真、ヌード写真などのシリーズで知られており、いずれも光と影の強いコントラストからなるモノクローム写真で、対象の個性、造形の美しさや抽象美を浮き彫りにしている。彼女の女性ヌード写真は性的興味から離れ、同性の目から見たモデルの個性、肉体の親密さや官能性をあらわにしていると評価されている。
93歳で亡くなるまで精力的に活動を続け、92歳の時に着手した90歳以上の人々を撮影したポートレートを写真集にするプロジェクトは完成させられずに終わったが、死後にまとめられ、出版された。